オノリオ・マリナーリ
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略歴
フィレンツェで、ジスモンド・マリナーリ(Gismondo Marinari)というあまり知られていない画家の息子に生まれた。17世紀にフィレンツェの芸術家の伝記集を出版したフィリッポ・バルディヌッチ(1625-1696)によれば、父親から絵を学んだ後、いとこで友人のカルロ・ドルチ(1616-1686)の工房に入った。ドルチの作品を模写して修行し、その模写はドルチのものと区別できないほどになった。その後、フィレンツェでバルダッサーレ・フランチェスキーニ(別名、イル・ボルテラーノ: 1611-1689)とも働き、ローマやロンバルディアでも修行した[2]。
1648年にはフィレンツェの美術アカデミー(Accademia delle arti del disegno)の文献に言及が見られるようになり、アカデミーの理事など重要な役職を務めた[2]。
フィレンツェの教会の祭壇画などを描き、トスカーナの個人の顧客からの注文で宗教的な題材の作品も描いた[3]。
絵画の他に、天文学の論文を著わしたことでも知られ、1674年に、「太陽の動きを示す道具である天文環(annulo astronomico)の制作と使用法(Fabbrica et uso dell'annulo astronomico instrumento universale per delineare orivoli solari)」というタイトルの論文を出版した[2]。またヴィオラの演奏者としても知られていた。
1715年にフィレンツェで亡くなった。弟子にはバルトロメオ・ビンビ(1648-1729)がいる[4] 。
