オハイオ州刑務所
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1897年 | |
| 所在地 | オハイオ州コロンバス |
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| 座標 | 北緯39度58分3.25秒 西経83度0分29.92秒 / 北緯39.9675694度 西経83.0083111度座標: 北緯39度58分3.25秒 西経83度0分29.92秒 / 北緯39.9675694度 西経83.0083111度 |
| 現況 | 除却後、アリーナ行政区 |
| 収監者数 | 5,235名(1955年の最大収容時) |
| 開設 | 1815年8月15日 |
| 閉鎖 | 1983年12月31日 |
| 国 |
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オハイオ州刑務所(オハイオしゅうけいむしょ、英:Ohio Penitentiary)はアメリカ合衆国のオハイオ州コロンバスにあった刑務所である。1815年に運用を開始し1983年に閉鎖した。現在はヤングスタウンにあるオハイオ州立刑務所(Ohio state Penitentiary)が引き継いでいる。
暴動事件
1813年、オハイオ州はコロンバスにレンガ造りの3階建ての小さな刑務所を建設した[1]。最初の囚人は1815年8月15日に収容されたジョンとデヴィッドのエバンス兄弟だった。しかし独居房が13室しかなく、人口増加に伴って州議会は500人を収容できる新しい刑務所の建設を承認し1834年より運用が始まった。
1916年にオハイオ女性更生施設が開設されるまでは女性専用の棟もあった。建物は徐々に増築されていき、1955年のピーク時には5,235人の囚人がいた。
1885年に処刑場が加わり、絞首刑によって28名が処刑された。1897年に電気椅子に変更され、オハイオ州の死刑制度が廃止される1963年までに男女合わせて315人が処刑された[2]。
1930年4月21日、刑務所の西端の建物で火災が発生した[3]。当時4,300人の囚人がいたが、大量脱獄を恐れて開錠しなかったため160名が焼け死んだ。別の棟でも看守から鍵を奪って囚人が脱走し[4]、たちまち暴動が発生。500人の州兵が駆け付け30分後に鎮圧した[5]。最終的に死者322名、重傷者130名となった。
火災の原因は蝋燭の炎が布に燃え移ったと見られるが、施設は「囚人が放火した」と報告しずさんな管理体制を隠そうとした。また給水塔や消火ホースがあったものの訓練が行われたことはなかった[6]。
1952年10月31日に起きた「ハロウィーン暴動」では囚人1名が死亡、4名が負傷した。1968年8月の暴動では囚人5名が死亡、警官7名と囚人5人が負傷した。
