オリガ・ユーリエヴナ
From Wikipedia, the free encyclopedia
| オリガ・ユーリエヴナ Ольга Юрьевна | |
|---|---|
| 称号 | ガーリチ公妃 |
| 死去 |
1182年7月4日 |
| 埋葬 | ウラジーミル、ボゴロディチンスキー教会 |
| 配偶者 | ガーリチ公ヤロスラフ |
| 子女 |
エフロシニヤ ウラジーミル ヴィシェスラヴァ |
| 家名 | リューリク家 |
| 父親 | スーズダリ公ユーリー・ドルゴルーキー |
| 母親 | クマン人のハン・アエパの娘 |
オリガ・ユーリエヴナ(ロシア語: Ольга Юрьевна、? - 1182年7月4日[注 1])は、スーズダリ公ユーリー・ドルゴルーキーの娘である。スーズダリ公女、ガーリチ公妃。
1150年、ガーリチ公ヤロスラフと結婚した。1173年、ガーリチ公国の内紛のために、息子のウラジーミルと共にポーランド王国へ逃れた。ガーリチのボヤーレ(貴族)にはオリガ擁護に回る者もあり、その中のコンスタンチンはポーランドへ同行している。その後ルーツク、トルチェスクを経て、最終的には兄弟のフセヴォロドが領有するウラジーミルに落ち着いた。死に際し、エヴフロシニヤ(エフロシニヤ)[注 2]という名でスヒマ(ru)(Схима / 修道院の苦行的戒律を受けた正教の僧[3])となった。ウラジーミルのボゴロディチンスキー教会(ru)に埋葬された。