オリッサ飢饉 (1866年)
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救援活動
地理的に隔絶された地域への食料の輸送作業は悪天候のため、難航した。また、この地域のインフラストラクチャーが貧弱だったこともあり、船によるオリッサ外からの食糧の輸送は困難であると同時に、内陸部の輸送も困難であった。帝国政府は、1万トンのコメをこの地域に運んだが、9月よりも前に、飢えに苦しむ人々の口には届かなかった[1] 。
飢えと疫病(夏のモンスーンが吹く以前はコレラ、吹いた後にはマラリア)により、少なくともオリッサでは人口の3分の1にあたる100万人が1866年中に、その後2年間で、おおよそ400から500万人が死亡した[1] 。
1866年に降った豪雨はまた、洪水を引き起こし、オリッサ低地部のコメ生産を破壊した。2年連続の少雨を予想していた帝国政府は、結果として、定価で4万トンのコメを購入し、この地域の救済に充てた。とはいえ、この4万トンの数字は多くを見積もりすぎた数字であり、続く1867年の大豊作を迎えるまでに消費されたコメの量はその半分に過ぎなかった。
飢饉は1868年に終焉を迎えたが、帝国政府が飢饉の救済に9500万ルピーを支出することとなったが、これだけ多い支出になったのは、輸入されたコメの価格が高いことにあった[1] 。