オリニ

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オリニ(어린이)は、1923年3月に創刊された朝鮮児童雑誌。誌名は朝鮮語で子供を意味する。同地域における最初の本格的な児童雑誌であり、日本統治下の朝鮮で朝鮮語・ハングルによる児童文学の確立に寄与した。1934年7月に廃刊するが、1948年5月に復刊し、1949年12月まで刊行される。

創刊背景

朝鮮半島では、長幼の序を重んじる儒教文化の影響により子供を未熟で不完成な存在として見る意識が20世紀初頭まで根強く残っていたが、大韓帝国の成立と崩壊、韓国併合を機に民族意識が高まったことを受け、1920年代以降、次世代を担う存在として子供を捉え、前近代的子供観からの脱却を図ろうとする動きが活発となる[1][2]

本誌は、1922年に組織された天道教少年会による運動を母体とし、同会の主導的な立場にいた方定煥によって1923年3月に創刊された[1][3]。誌名の「オリニ」は、方定煥が考案した「幼い人」を意味する言葉であり、後に朝鮮語で「子供」を指す一般名詞ともなる[4]。1923年5月1日には第1回「オリニの日」式典が開かれ、本誌の刊行を含む一連の活動はオリニ運動と呼ばれるようになる[1]

誌面・刊行形態

本誌の創刊当時、方定煥は東洋大学に留学していたことから、東京で編纂された原稿をソウルの天道教系出版社である開闢社が出版する形が採られた[1][5]。創刊初期の掲載作品は、方定煥やセクトン会の会員による創作童話童謡や欧米の作品の翻訳が主だった[1]。誌面の一部には漢字ハングル交じり文も用いられているが、文芸作品はハングルのみで綴られている[1][2]

1923年3月の創刊号はタブロイド判の新聞形式だったが、ほどなく菊版70ページ前後の冊子形態となる[2]。刊行頻度は、創刊初期を除いて月刊だったが、検閲などの関係から毎年平均1号程度の欠刊が生じている[2]

方定煥が1931年に32歳で亡くなって以降は、尹石重らが中心となって刊行を続けたが、1934年7月に通巻122号で廃刊する[1][2]。朝鮮光復後、1948年5月に復刊を遂げるが、1949年12月に再度廃刊する[1][2]

評価

1920年代は朝鮮で児童雑誌の創刊が相次いだが、本誌はその代表格であり、本格的な児童雑誌の始まりとなった雑誌と評価されている[6][7]。本誌によって朝鮮語・ハングルによる児童文学が確立されたともいわれる[6][7]。本誌に掲載された方定煥の翻訳作品によってアンデルセンイソップなどの欧米の童話が朝鮮にも広まっていく[5]。創刊の辞では本誌には「清らかなもの」を集めたと述べられるなど、掲載作品の選定には子供を無垢で純粋な存在と捉える方定煥の思想が強く表れている[6][8]。また、同時期の日本の児童文学の影響を受けたとも指摘されており、翻訳作品の一部は『金の船』掲載作品が底本にされている[6][8]

創作分野では、童謡の功績が目立ち、現代の大韓民国で歌い継がれている李元壽の『故郷の春』や尹石重の『昼に出たパンダル』は本誌に掲載された詩が初出である[7][9]

出典

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