オレアンダー
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父プルヌス (Prunus) はダークロナルドの産駒で、ドイツセントレジャー馬に勝ち種牡馬としてもドイツで成功したサラブレッド。母オルシデー (Orchidee) もドイツオークスとドイツセントレジャーに勝った名馬で、オレアンダーはその両親の間に1924年にシュレンダーハン牧場で生まれた。馬名はキョウチクトウを意味し、ファミリーライン上からイニシャル「O」を受け継ぐとともに、父プルヌス(サクラ属)から連想された単語である。
シュレンダーハン牧場を所有するジーモン・アルフレート・フォン・オッペンハイム男爵が馬主になり、ゲオルク・アルヌル (George Arnull) を調教師とした。1926年初夏にホッペガルテン競馬場でデビューすると、2戦目には早くも重賞を勝利する。しかし、このころ調教中に転倒し、骨盤を骨折してしまった。通常なら予後不良として安楽死させられるほどの重傷であったが、この馬に強い期待を寄せていた陣営は懸命に治療し、1年後の5月にはなんとか復帰できるまでに回復した。
復帰後は2戦続けて楽勝したが、重度の故障を負っていたオレアンダーはクラシック登録をしていなかった。そのため、ダービー当日に古馬が相手となるハンブルク大賞に挑んだが3着に敗れてしまう。しかし、フェルシュテンベルク・レネンを10馬身差で勝ったあとに出走したバーデン大賞では、フランスのサカパピエ (Sac à Papier) 、オレアンダーのいなかったドイツダービーを勝ったマージャン (Mah Jong) を下してドイツ最強馬決定戦を制した。
翌1928年、初戦は敗れるが、3戦目のオーストリア遠征戦、オーストリア大賞を制した。さらにベルリン大賞を勝って、多数の国の遠征馬を迎えたバーデン大賞を5馬身差で圧勝した。こののちフランスに遠征し、凱旋門賞に挑戦しているが5着に敗れている。
1929年。5歳時はオレアンダーの最盛期と言え、オーストリア大賞を10馬身、ベルリン大賞を8馬身差で勝った。バーデン大賞もドイツダービー馬グラフイソラニ (Graf Isolani) を4馬身差で下し、キンチェム以来の3連覇を達成した。このあとは凱旋門賞に出走し、前年の勝ち馬カンタール (Kantar)との再戦になった。しかし、伏兵のイタリア馬オルテッロに競り負けカンタールにも交わされ3着に敗れた。
引退後はシュレンダーハン牧場で種牡馬となった。ドイツのクラシックホースを多数輩出し、1930-1940年代にかけて9度のドイツチャンピオンサイアーとなった。1947年にオレアンダーは放牧中に骨折し、安楽死となるが、その後も父系子孫はドイツ・東欧を中心に活躍した。南米、ソビエト連邦(第二次世界大戦後Raufboldを接収)を初め、一部は南アフリカ、インド、日本にも輸入され、ヒッチコック(ドイツ名馬)、ウイルデイール(皐月賞)、エスコリアル(ブラジル名馬)など1950-1970年代までは活躍馬が出ていた。現在オレアンダーはシュレンダーハン牧場に埋葬されている。