オレスティスのパウサニアス
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暗殺
前338年、フィリッポス2世はカイロネイアの戦いでギリシア連合軍に勝利すると、アケメネス朝ペルシアを次の目標とした[2]。
ペルシアへの本隊出撃を目前に控えた前336年、フィリッポスは古都アイガイで自身の娘クレオパトラとエペイロス王アレクサンドロスの結婚式を催した[2][3]。その日、アイガイの円形劇場(遺跡が現存する)に、フィリッポスは花婿アレクサンドロスと息子アレクサンドロスを左右に従えて入場した[2]。すると、側近護衛官のパウサニアスがフィリッポスのそばに駆け寄り、短剣で胸元を刺した[2]。フィリッポスは即死し、パウサニアスは馬で逃げようとしたがその場で処刑された[2][3]。
これにより、息子のアレクサンドロスが20歳の若さで王位を継承し、ペルシアとの戦争を引き継ぐことになった。
動機
暗殺の動機は諸説ある[2]。
ディオドロス『歴史叢書』によれば「同性愛のもつれ」が動機だった[2]。すなわち、パウサニアスはフィリッポスの愛人だったが、同名のパウサニアスという美青年にフィリッポスの愛が移ってしまった[2]。パウサニアスが美青年パウサニアスを公然と侮辱すると、美青年パウサニアスはイリュリアとの戦いで自殺するかのように死んでしまった[1][2]。美青年パウサニアスの友人だった将軍アッタロスは、復讐のためパウサニアスを饗宴で泥酔させ輪姦した[1][2]。パウサニアスはアッタロスから受けた仕打ちをフィリッポスに訴えたが、アッタロスが新妻の後見人だったため処罰せず、パウサニアスを側近護衛官に取り立ててなだめようとした[2]。しかしパウサニアスの恨みは治まらず、暗殺に至った[2]。(古代ギリシア・ローマには似たような同性愛の物語が複数あった[2]。)
あるいは暗殺の「黒幕」がいたとする説もある。黒幕は、アレクサンドロス大王と母オリュンピアスだったとも[2][4]、アテナイの反マケドニア派の政治家やペルシア王だったとも言われる[2]。上部マケドニアのヘタイロイによる組織的なクーデターだったとする説もある[2]。
