オーガスタス・スペンサー
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所属組織
イギリス陸軍
軍歴
1825年 - 1875年
| オーガスタス・スペンサー Augustus Spencer | |
|---|---|
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チャールズ・ウィリアム・ウォルトンによるリトグラフ | |
| 生誕 |
1807年3月25日 |
| 死没 |
1893年8月28日 (86歳) |
| 所属組織 | イギリス陸軍 |
| 軍歴 | 1825年 - 1875年 |
| 最終階級 | 陸軍大将 |
| 墓所 | ロンドン、ブロンプトン墓地[1] |
サー・オーガスタス・アルメリック・スペンサー閣下(英語: The Hon. Sir Augustus Almeric Spencer, GCB[2] 1807年3月25日 - 1893年8月28日)は、イギリスの軍人。最終階級は陸軍大将(General)。名門貴族・スペンサー家の一員。
フランシス・スペンサー卿と、その妻フランセスの間に三男として生まれる。父フランシス卿は第4代マールバラ公爵ジョージ・スペンサーの次男であり、1815年に初代チャーチル男爵に叙された。母フランセスは首相を務めた第3代グラフトン公爵オーガスタス・フィッツロイの五女である。
1825年4月8日、第43(モンマスシャー)歩兵連隊(軽歩兵)に入隊し、陸軍少尉に任官される。その後中尉(1827年7月5日)、大尉(1831年4月6日)、少佐(1843年7月21日)と順調に進級[3][4]。クリミア戦争に参加し、アルマの戦い、インカーマンの戦い、セヴァストーポリ包囲戦で連隊を指揮した[3][4]。1856年、アルダーショット駐屯の1個旅団の旅団長となる。1860年2月13日、少将に昇進する。同年インド帝国に赴任し、マドラス軍隷下の師団指揮官に着任。1866年に本国に戻り、西部軍管区司令官に就任した[4]。1868年5月9日に中将となり、翌年に再びインドでボンベイ軍司令官に任じられた。