オーガスタス・フィッツロイ (第7代グラフトン公爵)
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| オーガスタス・フィッツロイ Augustus FitzRoy | |
|---|---|
| 第7代グラフトン公 | |
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第7代グラフトン公爵、1893年撮影。 | |
| 在位 | 1882年 - 1918年 |
| 出生 |
1821年6月22日 |
| 死去 |
1918年12月4日(97歳没) |
| 配偶者 | アンナ・バルフォア |
| 子女 |
ヘンリー・ジェームズ アルフレッド・ウィリアム・メイトランド イリナ ヴィクター・アレクサンダー・チャールズ チャールズ・エドワード |
| 家名 | フィッツロイ家 |
| 父親 | 第5代グラフトン公ヘンリー・フィッツロイ |
| 母親 | メアリー・キャロライン・バークリー |
第7代グラフトン公爵オーガスタス・チャールズ・レノックス・フィッツロイ(英語: Augustus Charles Lennox FitzRoy, 7th Duke of Grafton KG CB、1821年6月22日 – 1918年12月4日)は、イギリスの貴族、軍人。最終階級は陸軍大将(1881年)[1]。

第5代グラフトン公爵ヘンリー・フィッツロイと妻メアリー・キャロライン(Mary Caroline、旧姓バークリー(Berkeley)、1795年6月18日 – 1873年9月10日、サー・ジョージ・クランフィールド・バークリーの娘)の次男として、1821年6月22日にベルグレイヴィアのグローヴナー・プレイスで生まれた[1]。ハーロー校で教育を受けた[1]。
1839年5月17日、少尉への辞令を購入して、第60歩兵連隊に配属された[2]。1841年8月27日に中尉への辞令を購入して昇進した[3]。同年にコールドストリームガーズに転じ[1]、1847年7月30日にLieutenant and Captainへの辞令を購入して昇進した[4]。1849年10月29日、ヴィクトリア女王の侍従(Equerry)に任命された[5]。1854年7月14日、Captain and Lieutenant-Colonelに昇進した[6]。クリミア戦争に参戦して、1854年11月のインケルマンの戦いで重傷を負った[7]。1858年にオスマン帝国より5等メディジディー勲章を授与された[1][8]。
1873年までに名誉大佐に昇進した後、1873年女王誕生日記念叙勲において、1873年5月24日にバス勲章コンパニオンを授与された[9]。1875年7月28日、(1868年6月28日付で)少将に昇進した[10]。1880年5月21日、中将に昇進した[11]。1881年7月1日、大将への名誉昇進とともに軍務から引退した[12]。
1882年5月21日に兄ウィリアム・ヘンリーが死去すると、グラフトン公爵位を継承した[1]。同年7月1日までにヴィクトリア女王の侍従から辞任、名誉侍従に任命された[13]。同年8月28日、サフォークの副統監に任命された[14]。副統監以外ではサフォーク、ノーサンプトンシャー、バッキンガムシャーの治安判事を務めた[15]。1883年2月3日、ガーター勲章を授与された[16]。
1901年2月22日、エドワード7世の名誉侍従に任命された[17]。1910年6月10日、ジョージ5世の名誉侍従に任命された[18]。
1918年12月4日に死去、長男ヘンリー・ジェームズに先立たれたため次男アルフレッド・ウィリアム・メイトランドが爵位を継承した[15]。