オーバーグリースバッハ
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| 紋章 | 地図 (郡の位置) |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 連邦州: | バイエルン州 |
| 行政管区: | シュヴァーベン行政管区 |
| 郡: | アイヒャッハ=フリートベルク郡 |
| 市町村連合体: | ダージング行政共同体 |
| 緯度経度: | 北緯48度25分21秒 東経11度04分07秒 / 北緯48.42250度 東経11.06861度座標: 北緯48度25分21秒 東経11度04分07秒 / 北緯48.42250度 東経11.06861度 |
| 標高: | 海抜 479 m |
| 面積: | 10.31 km2 |
| 人口: |
2,071人(2023年12月31日現在) [1] |
| 人口密度: | 201 人/km2 |
| 郵便番号: | 86573 |
| 市外局番: | 08251, 08205 |
| ナンバープレート: | AIC, FDB |
| 自治体コード: |
09 7 71 149 |
| 行政庁舎の住所: | Kirchstr. 7 86453 Dasing |
| ウェブサイト: | www.obergriesbach.de |
| 首長: | ユルゲン・ヘルマン (Jürgen Hörmann) |
| 郡内の位置 | |
| 地図 | |
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オーバーグリースバッハ (ドイツ語: Obergriesbach) はドイツ連邦共和国バイエルン州シュヴァーベン行政管区のアイヒャッハ=フリートベルク郡に属す町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)で、ダージング行政共同体を構成する自治体の一つである。
自治体の構成
歴史
オーバーグリースハイムは12世紀の前半に創設された。グリースバッハ家の始祖はルドロフ・フォン・ハーンライトで、彼は1124年にグリーツバッハ・フォン・グリーツェンバッハを名乗った。
1468年にヴィグーラエウス・フォン・ヴァイヒスがオーバーグリースハイムの城主となった。その特筆に価する墓碑はこの地の教区教会である聖シュテファン教会に今日まで遺されている。1730年にはホーフマルクが帝国女伯マリー・フィオランテ・テレージア・フォン・ツルン・ウント・タクシスに売却された。
1831年からは、アフィングに本拠を構えるグラーフェンロイト男爵がホーフマルク・オーバーグリースハイムの所有者にもなった。これ以後、城はほとんどグラーフェンロイト男爵の未亡人邸となった。
人口推移
第一次世界大戦後、オーバーグリースハイムに約400人、ツァーリングに約200人が住んでいた。第二次世界大戦後には、集落の人口はそれぞれ100人強ずつになっていた。
- 1970年: 1,059人
- 1987年: 1,545人
- 2000年: 1,807人
- 2005年: 1,991人
行政
町議会
町議会は、第1町長と14人の議員で構成される。
紋章
図柄: 赤地に銀の階段破風それに重ねて上向きに尾を引く黒い尖頭型の図形、その下部には銀の波帯。
この町の紋章は、町にとって重要な2つ家族の紋章から構成されている。階段破風は、1293年までビーブング修道院のレーエンとしてオーバーグリースハイムを治めたグリースバッハ家の印章に由来する。修道院は1468年までこの町をホーフマルクト(荘園)とし、その後ヴァイヒス家に売却した。ヴァイヒス家はツァーリングとラッツェンハウゼンの大部分をも獲得した。この家門の構成員は、高級官僚、聖堂参事会会員、ドイツ騎士団の騎士として名声を得ていた。1730年までこの荘園は彼らの所有になっていた。尾を引く尖頭型図形は、この家の紋章から採られた。波帯は、この町がパール川の渓谷に位置することを示している。
