オーレル・ロベール
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現在のスイスのヌーシャテル州のラ・ショー=ド=フォンで生まれた。父親は時計の筐体を細工する職人で、兄のルイ=レオポール・ロベール(1794-1835)も画家になった。地元の学校で学んだ後、父親の仕事の見習いとなった。16歳になった1822年に、兄のルイ=レオポールが画家として活動していたローマに招かれ、兄から絵を学び、助手として働いた。1825年に独立した活動を行うようになり、この時代は都市景観図や風俗画、建物の絵などを描いた。ローマでは、在ローマ・フランス・アカデミーの絵画の授業に参加し、ピエール=ナルシス・ゲランなどの指導を受けた。しばしば兄の作品の複製を制作し、1831年にはパリでそれを販売した。1831年のパリのサロンに出展し、メダルを受賞した。
1832年に兄を追ってヴェネツィアに移ったが、1835年に兄は自殺した。兄の死後、パリに移り、1838年まで滞在した。1838年から1843年の間はヴェネツィアで活動した。その後スイスにもどり、1844年に商人の娘と結婚した。1843年以降は、肖像画家として働き [1]、あまり国外にでることはなかった。1853年にビール/ビエンヌに邸を購入し、1871年にビール/ビエンヌで亡くなった[2]。
息子のレオ=ポール・ロベール(Léo-Paul Robert1851-1923)、孫のフィリップ・ローベル(Philippe Robert: 1881-1930)とポール=アンドレ・ロベール(Paul-André Robert: 1901-1977)も美術家になった[3]。