ハンプシャーのスティーブントン(Steventon)の教区牧師のジョージ・オースティン(1731-1805)とカサンドラ(1739-1827)の娘に生まれた。8人兄弟で、そのうち女子はカサンドラとジェイン・オースティン(1775-1817)だけであったことなどのために、生涯を通じて特に強い絆を保った。ジェインからカサンドラへの手紙は百通以上が現存していて、小説家の生涯の詳細をしるのに役立っている。弟のフランシス・ウィリアムオースティン(Francis William Austen: 1774-1865)とチャールズ・ジョン・オースティン(Charles John Austen: 1779-1852)はイギリス海軍の軍人になった。
カサンドラ・オースティンは妹のジェインと1783年に教育を受けるために叔父の妹のコーリー夫人に預けられ、オックスフォードやサウサンプトンに住むが、サウサンプトンで疫病が発生したために、オースティン姉妹はスティーブントンに戻った。1785年から1786年の間、姉妹はレディングの修道院女子寄宿学校で学んだ。オースティン姉妹は自宅で絵画とピアノの訓練を受け、10代半ばから小説の原型を書いて友人や家族にみせていたジェインが1791年に書いた初期の小説『イングランドの歴史(The History of England)』の原稿に、カサンドラはイギリス君主の肖像イラストを描いた(この原稿はジェインの没後の19世紀後半に出版された。)。
カサンドラは1804年に木のそばに座るジェインの後ろ姿を描き、1810年頃に未完成の正面肖像を残し、このスケッチは現在、ロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーに所蔵されている[2] 。
カサンドラ・オースティンは1794年に父親がオクスフォード大学で教えていた時の生徒のトーマス・ファウル(Thomas Fowle)と婚約した[3]。ファウルは結婚資金を得るために、いとこのクレイヴン将軍(William Craven, 1st Earl of Craven: 1770–1825)のカリブ海遠征に従軍神父として参加し、1797年に黄熱病で亡くなった。妹のジェインと同様に生涯結婚しなかった[3]。
ハンプシャー南部の軍港の街ポーツマスで亡くなった。