カスケーズ女子工場

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座標: 南緯42度53分37秒 東経147度51分5秒 / 南緯42.89361度 東経147.85139度 / -42.89361; 147.85139

英名 Australian Convict Sites
仏名 Sites de bagnes australiens
登録区分 文化遺産
登録基準 (4)、(6)
世界遺産 オーストラリアの
囚人遺跡群
オーストラリア
カスケーズ女子工場
カスケーズ女子工場
英名 Australian Convict Sites
仏名 Sites de bagnes australiens
登録区分 文化遺産
登録基準 (4)、(6)
登録年 2010年
公式サイト 世界遺産センター(英語)
使用方法表示

カスケーズ女子工場英語:Cascades Female Factory)は、タスマニア州サウス・ホバートにかつてあった女性囚人のための刑務所工場である。敷地内には5つの工場、墓地が残る。

1827年に建設され、1856年まで供用された後に、廃止された。2010年UNESCO世界遺産に、他のオーストラリア国内の10の史跡とともに、「オーストラリアの囚人遺跡群」の1つとして登録された。

サウス・ホバートに女性刑務所兼工場が建設された目的は、女性囚人をホバートの悪い慣習から隔離することとまた、不道徳で腐敗しているように見えた女性囚人をホバート市内から隔離することで、社会秩序を維持することにあった[1]。しかしながら、カスケーズ女子工場が設置された場所は水はけが悪く[1]、また、囚人の数も収容能力を大幅に超えていたこと[1]、衛生状態が悪かったこと[1]、慢性的な食糧不足というさまざまな要因があいまって、死亡率が高かったとされる[1]

カスケーズ女子工場は、当時の姿を残す唯一の女性刑務所であり、2010年、「オーストラリアの囚人遺跡群」の1つとして、ユネスコ世界遺産に登録された。

歴史

1827年、植民地政府による工場建設が決定された[2]。翌年には、カスケーズ女子工場第1工場が完成した[2]。さらに、1832年には2年前から建設工事が実施されていた第2工場が完成した[2]。拡張工事は続き、1845年には第3工場[2]1850年には第4工場[2]1853年には第5工場が完成した[2]1856年、工場の役割を終え、工場の敷地は、女子刑務所となった[2]。しかし、カスケーズ女子刑務所の供用は1877年に終了し、当時、刑務所内にいた女性囚人は、ホバートのキャンベル・ストリート刑務所に移されることとなった[2][3]。カスケーズ女子刑務所が閉鎖された際には、女性囚人の家族も含めて、41人が刑務所にいたと記録されている[3]

その後も、カスケーズ女子工場の敷地は、少年院[2][4]感染症の隔離病院[2]、さらには、1888年からは産婦人科病院の機能も追加され、使用されてきた[5]が、カスケーズ女子工場の産婦人科病棟は1896年に閉鎖された[5]

少年院では少年たちの矯正教育と出所後のために、商業教育が施されると同時に、工場内では、農業ガーデニング大工作業が行われた[4]。研究によると、少年院には、随時30人程度の少年がいたとされる[4]

女子工場から転用された後は、さまざまな用途に用いられてきたが、カスケーズ女子工場の敷地は、1904年に完全閉鎖となった[2]

研究

カスケーズ女子工場を含めた女性囚人の研究がタスマニア州では展開されており、女性囚人のリストが、ホームページ上にリストアップされている[6]

世界遺産

脚注

外部リンク

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