カタリーナ・マン
トーマス・マンの妻
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家系
父アルフレート・プリングスハイムは数学者。母ゲルトルート・ヘートヴィヒ・アンナ・ドーム=プリングスハイムは女優。双子の兄クラウス・プリングスハイムは指揮者。祖父エルンスト・ドームはドイツ系ユダヤ人解放運動家。祖母マリアンネ・アデライーデ・ヘートヴィヒ・ドームは女性解放運動家。父方の祖父ルードルフ・プリングスハイムは実業家[1]。
生涯
ミュンヘン近郊のフェルダフィンクに生まれる。大学で物理学と数学を専攻していたが、1904年秋、母やおばの頼みで退学し、1905年2月11日にトーマス・マンと結婚した。以後も4学期間、聴講生として学業を継続している。夫トーマスとの間に、エーリカ、クラウス、ゴーロ、モーニカ、エリーザベト、ミヒャエルの6児を儲けた。 1910年、次女のモーニカを産んだ後に体調を崩す。最初は結核の疑いがあったが、X線検査の結果、結核の兆候は認められなかった。彼女自身の申し立てにより心身症と考えられるようになり、数ヶ月のあいだ療養所で過ごして健康を恢復した。このときの彼女の体験は、トーマス・マン『魔の山』の材料となった。
カタリーナがユダヤ系のため、ナチスによる政権掌握による追及を避け、夫トーマスら家族とチェコスロバキアに移住した。さらにチェコがナチスに占領されると米国に移住した。戦後になり一時帰国しスイスに在住した。
長男のクラウスの自殺、長女のエーリカ、次男のミヒャエルが病死、1955年に夫トーマスに先立たれた後はチューリヒ近郊のキルヒベルクで死去した。
