カテリーナ・カゼッリ
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エミリア=ロマーニャ州モデナ県サッスオーロに生まれる。1963年のカストロカーロ新人コンクールに入賞しデビュー。デビュー前の音楽活動としては、地元のクラブでベースの演奏をしていた。
1966年にサンレモ音楽祭に初出場、もともとアドリアーノ・チェレンターノのための楽曲であった「Nessuno mi può giudicare 青春に生きる」を歌って入賞(パートナーはジーン・ピットニー)、デビュー曲となった本曲はゴールド認定を受けた[1] 。抜群のスタイルと個性的なファッション、ハスキーな声で一躍スターとなる。金髪のボブのヘアスタイルは「ゴールデンヘルメット」と呼ばれ彼女のニックネームとなった。
1967年には「Il cammino di ogni speranza 風に消えた恋」でサンレモ音楽祭に連続出場する。
1968年には「The days of Pearly Spencer パーリー・スペンサーの日々」をカバーした「Il volto della vita」をヒットさせ、カンタジーロ(イタリア歌謡フェスティバル)で優勝する。
1968年、パオロ・コンテ作曲の「Insieme a te non ci sto più(愛は彼方に)」がヒットし成功を収める。2006年には、ミケーレ・ソアヴィのネオ・ノワール映画「グッドバイキス」のサウンドトラックのための本曲の新バージョンを再録、ダビデ・ディ・ドナテッロ賞のベストソングを受賞した[2]。
その後も活躍を続けるが、1969年にCGDレコード副社長のピエロ・シュガーと結婚し、1975年に引退する。その後はCGDのプロデューサーとして、シュガーレコードを中心にGiuni Russo、Paolo Vallesi、アンドレア・ボチェッリ、Gerardina Trovato、フィリッパ・ジョルダーノ、Piccola Orchestra Avion Trave、Gazosa、エリサ、Negramaro、マリカ・アヤン, ラファエル・グアラッツィ、Giovanni Caccamoらを輩出している。
1990年のサンレモ音楽祭に久々に出場し「Bisognerebbe non pensare che a te」を歌った。
2009年、ラクイラ地震で襲われたアブルッツォのためのチャリティーソングプロジェクト「Artisti uniti per l'Abruzzo」に、他の56人のイタリア人アーティストと共にレコーディングに参加した。
2012年6月25日、イタリア北部地震の影響を受けたエミリア=ロマーニャ州被災者のためにボローニャで開催された「Concerto per l'Emilia」に歌手として復帰し参加した。