カリンティ・フェレンツは、著名なハンガリー人作家カリンティ・フリジェシュの次男としてブダペストに生まれた。彼は、パーズマーニ・ペーテル大学(現エトヴェシュ・ロラーンド大学)に在学中(文学と言語学を専攻)の1943年に、第一長編"Don Juan éjszakája"(ドン・ジュアンの夜)を発表した。1945年に言語学で博士号を取得する。
カリンティは国立劇場(Nemzeti Színház)やマダーチ劇場(Madách Színház)、またミシュコルツ、セゲド、デブレツェンの劇場で台本の編集者として働いた。1957年から1960年にかけてはマキャヴェッリやモリエールを含む多くの著作家の著書をハンガリー語に翻訳した。彼はバウムガルテン賞(Baumgarten-díj)、ヨージフ・アッティラ賞(József Attila-díj)、コシュート賞(Kossuth-díj)など多数の賞を受けている。[2]
カリンティはブダペストで1992年に死亡した。彼が1969年から91年まで付けていた日記は、1994年に"Napló"(日誌)の題で死後出版された。