カルロス・チャベス
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| カルロス・アントニオ・デ・パドゥア・チャベス・イ・ラミレス | |
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1937年のチャベス | |
| 基本情報 | |
| 原語名 | Carlos Antonio de Padua Chávez y Ramírez |
| 生誕 | 1899年6月13日 |
| 出身地 |
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| 死没 | 1978年8月2日(79歳没) |
| ジャンル | クラシック音楽 |
| 職業 | 作曲家、指揮者、音楽教育者 |
カルロス・アントニオ・デ・パドゥア・チャベス・イ・ラミレス(スペイン語: Carlos Antonio de Padua Chávez y Ramírez, 1899年6月13日 - 1978年8月2日)は、メキシコの作曲家、指揮者、音楽教育者。メキシコシティ近郊のポポトラ生まれ。
チャベスの音楽は、メキシコの民族音楽とネイティブアメリカンの音楽、さらにはスペイン風メキシコ音楽の特徴を併せ持つ。このスタイルはブラジルの音楽家ヴィラ=ロボスと並んで中南米の現代クラシック音楽としては衝撃的であった。
彼は、作曲、音楽評論の双方において非常な多産家でもあり、作曲作品は5つのバレエ音楽、6曲の交響曲、4曲の協奏曲、1曲のオペラとカンタータ、さらには数え切れないほど多く遺された声楽曲、ピアノ曲、室内アンサンブル曲から構成されている。また、音楽評論家としては200以上の記事を雑誌などに投稿している。またチャベスは1937年に「来るべき新音楽:音楽と電気学 (Toward a New Music; Music and Electricity)」[1]、という本を書いており、この本は新音楽の分野における基本的な書籍となった。
チャベスは、主としてピアニストとしてトレーニングを受けており、作曲技術に関しては指導者から独立して身に着けたものと考えられている。彼が青年に達した時期は、ちょうどメキシコ革命の終わりの時期にあたり、国民音楽の希求された時代にあたる。そのような時代の、土着のネイティブ・アメリカン文化や民俗音楽の調査等によって生み出された先見性は、20世紀のメキシコ音楽に新たな可能性を拓いた。
チャベスの音楽は、作品としては交響曲 第1番「アンティゴナ」(英語: Sinfonía de Antígona)、交響曲 第2番「インディオ」(英語: Sinfonía india)や交響曲 第4番「ロマンティック」(英語: Symphony No. 4 (Chávez))、「マーサーグラハムのためのバレエ音楽」 (La Hija de Cólquide,"The Dark Meadow") に見られるように、管弦楽曲の要素及び構成上で自国の楽器の使用やポリリズム(クロスリズム)、シンコペーションからなる不規則な拍子等を重要な特徴としている。
1958年には、ハーバード大学の首席詩学者であったチャールズ・エリオット・ノートン (Charles Eliot Norton) の求めに応じて講義を行い、また、メキシコではメキシコ国立音楽院(Conservatorio Nacional de Música)の院長に就任した。この講義記録が、1961年に出版された「音楽的思考 (Musical Thought)」である。[2]
指揮者としては、メキシコ交響楽団を組織し、その音楽監督に就任した。アメリカ合衆国、ヨーロッパ及びラテンアメリカの主要なオーケストラの指揮を行い、ショスタコーヴィチの交響曲「レニングラード」のソヴィエト国外初演者争いをクーセヴィツキー、ロジンスキー、ストコフスキー、オーマンディ、キンドレル(詳細不明)、トスカニーニらと繰り広げたことこと[3]でも有名である。また、同じくショスタコーヴィチの交響曲第8番のメキシコ初演の指揮者でもある。[4]
これらの業績により、アメリカ芸術科学アカデミー及びアメリカ芸術文学協会の名誉会員の称号を贈られた。