カルロ・マルテッロ・ダンジョ
From Wikipedia, the free encyclopedia
生涯
1271年、ナポリ王カルロ2世の長男として生まれる。母はハンガリー王女マーリア(イシュトヴァーン5世の次女)。また、父方の叔母イザベッラ(エルジェーベト)は、母マリアの弟であるラースロー4世の妃であった。
1281年にローマ王ルドルフ1世の五女クレメンツァ・ダスブルゴと結婚し、1男2女を儲けた(イタリア語名/ハンガリー語名の順に記す)。
- カルロ・ロベルト/カーロイ・ローベルト(1288年 - 1342年) - ハンガリー王カーロイ1世
- ベアトリーチェ/ベアトリクス(1290年 - 1343年) - ドーファン・ド・ヴィエノワ・ジャン2世妃
- クレメンツァ/クレメンツィア(1293年 - 1328年) - フランス王ルイ10世妃
1290年に叔父のラースロー4世が暗殺されると、アンドラーシュ3世の即位を認めず、自身の王位継承を主張して名目上のハンガリー王を称した。カルロ・マルテッロの王位は十字軍の派兵を条件にして、教皇ニコラウス4世によって承認された。しかし1295年、アンドラーシュ3世より先に23歳で早世した。
1301年にアンドラーシュ3世が死去してアールパード朝が断絶した後、ハンガリー王位はアールパード家の女系子孫たちによって争われ、最終的に息子カルロ・ロベルトが正式な戴冠を果たした(カーロイ1世)。

