ナポリ王国

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ナポリ王国
Regnum Neapolitanum (ラテン語)
Regno di Napoli (イタリア語)
Regno 'e Napule (ナポリ語)
ナポリ王国の位置
1454年
国の標語:Noxias herbas(ラテン語)
公用語 ラテン語
ナポリ語
イタリア語
宗教 カトリック
首都 ナポリ
国王
1282年 - 1285年 カルロ1世
1414年 - 1435年 アルフォンソ5世
1516年 - 1554年 カルロス1世
1759年 - 1816年
(1805年 - 1815年廃位)
フェルディナンド4世
1808年 - 1815年 ジョアッキーノ1世
人口
19世紀 5,700,000人
変遷
シチリアの晩鐘 1282年
カルタベッロッタの和平(シチリア王国との相互承認) 1302年
アラゴン王フェルナンド2世の征服(スペイン支配の始まり) 1504年
カルロ7世の即位(両シチリア王国が事実上成立) 1735年
両シチリア王国が正式に成立 1816年
通貨 ドゥカート
現在 イタリアの旗 イタリア
先代 次代

ナポリ王国(ナポリおうこく、イタリア語: Regno di Napoli)は、13世紀から19世紀にかけて、ナポリを中心に南イタリアを支配した国家である。

13世紀末にシチリア島とイタリア半島南部を支配していた中世シチリア王国が分裂した際、半島側の領土を支配下に置いた王国である。19世紀初頭、シチリア島のシチリア王国とナポリ王国は正式に統合され「両シチリア王国」となった。

この国は、国号としては「シチリア王国」を公称していた。中世シチリア王国がシチリア島側の王国と半島側の王国に分裂したあとも、両者はともに「シチリア王国」の正統を主張して国号を譲らなかったためである[1]

両者は便宜的に「灯台のこちらのシチリア王国」(半島側、首都はナポリ)と「灯台のあちらのシチリア王国」(シチリア島側)と呼ばれた。間もなく半島側の王国に「ナポリ王国」の呼称が普及した[1]。「ナポリ王国」を公称するようになったのは、1759年に至ってである[1]。なお、シチリア島側の王国を特に「トリナクリア王国」と呼ぶこともある。

2つの「シチリア(王国)」を併称して「両シチリア(王国)」とも呼ぶ(両シチリア王国#「両シチリア」という名称参照)。

地理

地図

ナポリ王国の領土はおおむね、現在のカンパニア州カラブリア州プッリャ州アブルッツォ州モリーゼ州バジリカータ州及び、現在のラツィオ州の一部(ガエータカッシーノ)を含む領域(左図の橙色)である。

シチリア島(左図の濃橙色)が同君連合の下に置かれた時期もある。

1408年から1414年にかけて、ラディズラーオ1世はローマをはじめラティウム・ウンブリアを占領した(左図の黄色)。

1557年から1800年までトスカナ地方の沿岸部に存在したプレシディ領英語版(左図の赤色)は、ナポリの属領であった。

歴史

脚注

関連項目

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