カンチェンジュンガ
世界で3番目に高い山
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概要
登頂歴
- 1899年 - ダグラス・フレッシュフィールド(Douglas Freshfield )隊が探検した。
- 1905年 - アレイスター・クロウリーらによる最初の登頂の試み。当時ヒマラヤ高峰の気象や登山適期はよくわかっておらず、夏のモンスーン季に入山したことが仇となり多量の降雪に阻まれ6470 mの到達にとどまった。隊員のアレクシス・パッヘ中尉が雪崩により死亡し、5990 m付近に埋葬された。
- 1929年 - ドイツのパウル・バウアー隊が7400 mまで到達。
- 1955年5月25日(初登頂) - イギリスのチャールズ・エヴァンス隊のジョージ・バンドとジョー・ブラウン。
- 1973年5月14日 - 京都大学学士山岳会の上田豊、松田隆雄が西峰(ヤルン・カン)に初登頂。8000 m付近でビバークを余儀なくされ、松田隊員が行方不明に。
- 1978年 - ポーランド隊が南峰(カンチェンジュンガII)に登頂成功。
- 1979年5月16日(無酸素初登頂) - ダグ・スコット、ピーター・ボードマン、ジョー・タスカー。
- 1980年 - 山学同志会の川村晴一、鈴木昇己ら6人が無酸素登頂。
- 1981年 - 日本ヒマラヤ協会隊の山田昇ら4人が主峰・西峰を縦走。
- 1983年 - ピエール・ベジャン(Pierre Béghin )が初の単独無酸素登頂。
- 1984年
- 1986年1月11日 - ポーランド隊が初の冬季登頂(イェジ・ククチカとクシストフ・ヴィエリツキ)。同日、アンジェイ・チョクが高山病のため死亡。
- 1989年 - アナトリ・ブクレーエフ(Anatoli Boukreev )が4つのピーク縦走に成功。
- 1992年 - カルロス・カルソリオが単独無酸素登頂。
- 1998年5月15日 - 日本山岳会青年部登山隊の2人が登頂後、死亡する事故が発生[2]。
- 2006年5月14日 - 竹内洋岳が南面クラシックルートで無酸素登頂。
関連文献
- 深田久弥『ヒマラヤ登攀史:八千メートルの山々』岩波新書、1957年。
- 池田常道『現代ヒマラヤ登攀史:8000メートル峰の歴史と未来』ヤマケイ新書、2015年。
- Joe Brown “The Hard Years” Victor Gollancz, London, 1967.

