カールは848年まで伯父ロタール1世の宮廷に住んでいたが、兄ピピン2世の廃位を聞き、849年3月に一行を率いてアクィタニア領の獲得を目指し出発した。ロワール川でメーヌ伯ヴィヴィアンに捕らえられ、シャルル禿頭王のもとへ送られた。カールはコルビー修道院に修道士か助祭として入れられた。
854年、兄のために戦う軍隊を編成しようと逃亡したが、ほとんど成果を上げず、ルートヴィヒ2世の宮廷に逃れた。856年3月8日、カールはマインツ大司教兼大法官に任命された。司教として活躍し、863年6月4日に亡くなり、マインツの聖アルバン修道院に埋葬された。