ブランデンブルク州のエルスターヴェルダに生まれた。父親のJohann Matthäus Terschecはエルスターヴェルダの宮廷庭師(Hofgärtner)で1897年から庭師の教育を受けた。1800年から1802年の間、ピルニッツ宮廷庭園の庭師を務め、1801年に、現存するヨーロッパ最古の椿の1つであるピルニッツの椿(Pillnitzer Kamelie)を現在の場所に植えた。これは樹高8.9mに育っている[3]。
6年ほどシェーンブルン、ラクセンブルク、パリで修行をした後、ライプツィヒのSchloss Eythraで庭師となった。1809年からドレスデン宮廷庭園の主任庭師を務めた。1820年に植物学者のライヘンバッハ(Ludwig Reichenbach)や兄弟のヨハン・ゴトフリート・テルシェック(Johann Gottfried Terscheck)とドレスデン植物園を作り、その日本宮殿(Japanischen Palais)やイギリス庭園などを設計した[4]。