カール・ホルツ (ヴァイオリニスト)
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1819年にヨーゼフ・ベームがウィーンで弦楽四重奏団を結成し、当時オーストリア政府に公務員として務めていたホルツも第2ヴァイオリンとして参加した[1]。1823年に数年間にわたり同市を留守にしていたヴァイオリニストのイグナーツ・シュパンツィヒが戻ってきた。シュパンツィヒは1790年代にウィーンで弦楽四重奏団を結成、ベートーヴェンの古くからの友人であった彼はベートーヴェンの作品18の弦楽四重奏曲(第1番、第2番、第3番、第4番、第5番、第6番)の初演を手掛けていた。ベームの四重奏団が解散したことに伴い、ホルツはシュパンツィヒが再結成した四重奏に加わることになる[2][3]。
1810年の第11番の完成以後、弦楽四重奏曲の作曲から遠ざかっていたベートーヴェンであったが、1824年にニコライ・ガリツィン王子の委嘱に応えて3作の四重奏曲の作曲に着手した。その最初の作品である第12番は翌年にシュパンツィヒ四重奏団によって初演された。同団は後に他の2作の委嘱作品である第13番と第15番も演奏している[2][3]。