カール・ルートヴィヒ・ツー・プファルツ
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プファルツ選帝侯カール・ルートヴィヒとその2番目の妻で貴賤婚配偶者だったマリー・ルイーゼ・フォン・デーゲンフェルト女男爵の間の第1子・長男。母は三十年戦争で軍指揮官として活躍したクリストフ・マルティン・フォン・デーゲンフェルト男爵の娘である。選帝侯家の継承権を持たない13人きょうだい(うち7人が成育)の最年長であり、弟妹たちとともに1667年父選帝侯が母に授与したプファルツ荒地伯(ラウグラーフ)の称号を名乗った。
父親に外見や気性がよく似ていたため、嫡男カール(異母兄)よりも父に可愛がられた。1670年、選帝侯はカールッツにシュトライヒェンブルク城及びシュテッバハ村落を所領として与えた。また、異母姉のリーゼロッテとは非常に仲が良く、手紙魔であった姉の文通相手の1人であり、姉がフランス王弟オルレアン公フィリップへ嫁入りする際は、父選帝侯とともに姉をフランス国境のストラスブールまで見送り、その後も姉の招きでヴェルサイユ宮殿を訪問した[1]。ヴェルサイユでは姉の立場を守ろうとして、姉の夫オルレアン公の寵臣たちと言い争いになった。
成長すると叔母ゾフィーとその夫のカレンベルク侯エルンスト・アウグストの治めるハノーファー宮廷を頼って暮らすが、美男子であったせいで浮気性の侯世子夫人ゾフィー・ドロテアに誘惑されて男女の関係になってしまったため、宮廷から追い出された。異母姉のオルレアン公爵夫人リーゼロッテは後に次のように述懐している、「カール・ルッツとの一件で、あのプリンセス[ゾフィー・ドロテア]には嫌悪の感情しかありません。彼女の呪わしい色香に惑わされることがなければ、弟は今もハノーファーで暮らしていたでしょうし、死ぬこともなかったはずです[2]」。
カールッツはヴェネツィア共和国に将軍として仕官し、オスマン帝国の施政下にあったエーゲ海のネグロポンテ(現ギリシャ領エヴィア県ハルキダ)を包囲する作戦に、ヴュルテンベルク公国から派遣された3つの連隊の指揮官[3]として従軍していた際、熱病にかかって[4]29歳で亡くなった。
歴史家マルガレーテ・クールバウム=ジーベルトは1914年にカールッツを主人公とした歴史小説『カールッツ、三十年戦争後の時代を生きたあるドイツ人青年の運命(Karllutz, Raugraf zu Pfalz: Schicksale eines deutschen Jünglings aus der Zeit nach dem Dreissigjährigen Kriege)』を発表した。
