キム・ウィロビー
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| 基本情報 | ||||||||||||
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| 生年月日 | 1980年11月7日(44歳) | |||||||||||
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| ラテン文字 | Kim Willoughby | |||||||||||
| 身長 | 180cm | |||||||||||
| 体重 | 75kg | |||||||||||
| 選手情報 | ||||||||||||
| ポジション | OH | |||||||||||
| 利き手 | 右 | |||||||||||
| スパイク | 315cm | |||||||||||
| ブロック | 300cm | |||||||||||
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キム・ウィロビー(Kim Marie Willoughby, 1980年11月7日 - )は、アメリカ合衆国の元女子バレーボール選手。
2007年からイタリアのセリエA・Familia Chieriでプロ選手となり、2008年4月にアメリカ合衆国代表入り[1]。同年夏の北京オリンピックでは銀メダルに輝いた。シリオ・ペルージャ在籍中の2008/09シーズンには、欧州チャンピオンズリーグにおいて銅メダリストとなり、自らもベストレシーバー賞に輝いた。
法的トラブル
ルイジアナ州テレボーン郡ホウマ生まれで、同州アサンプション郡ナポレオンビル育ち。Assumption高校(英語版)在学時にはバレーボールだけでなく、陸上競技やバスケットボールでも才を発揮した。高校バレーボール部は3年連続でルイジアナ州選手権で優勝し、ウィロビーは年間優秀選手に選出されている。同時に全米高校ベスト6(First Team All-American)にも選出されている。
幼年期に実母が交通事故に遭い下半身不随となった。更なる悲劇が襲う。ボーイフレンドが他人と口論の末、射殺されたのである。後にウィロビーは「あの頃は心が荒んで、よくキレて喧嘩ばかりしていた」と認めている[2]。
同じバレーボール選手で、北京オリンピックアメリカ合衆国代表のチームメイトでもあったダニエル・スコット=アルーダはウィロビーの三従兄弟(又従兄弟の子同士)である[3]。
2006年12月にその事件は起こった。ホノルルカカアコにあるカフェで、ウィロビーがある女性に暴行を加えたと伝えられた。被害者は鼻の骨を折るなどの重傷であった[4]。ウィロビーは正当防衛を主張したが、検察官は認めず、司法取引で50000ドルの保釈金と5年間の保護観察処分となった[4]。
2012年1月、保護観察処分が早期解除されたウィロビーは故郷であるルイジアナ州に戻った[5]。
ドーピング
2009年4月、ウィロビーは試合後の尿検査でナンドロロンの陽性反応が検出された。同年9月11日、イタリアオリンピック委員会は2011年7月10日までの2年間、ウィロビーを出場停止処分に科したと発表した[6]。
出場停止処分が明けプエルトリコで2シーズンプレーした後、2013/14シーズンからアゼルバイジャンのイトゥサチ・バクーに移籍し、ヨーロッパ球界への復帰を果たした[7]。
大学
所属チーム
ハワイ大学(-2003年)
Caguas(2003-2005年)
CAVムルシア2005(2005-2006年)
Santeramo Sport(2006-2007年)
Chieri(2007-2008年)
シリオ・ペルージャ(2008-2009年)- (この間、ドーピング違反による出場停止)
Valencianas de Juncos(2011-2012年)
Pinkin de Corozal(2012-2013年)
イトゥサチ・バクー(2013-2014年)
Orientales de Humacao(2014年)
Indias de Mayagüez(2014-2017年)
球歴
- 2002年 - パンアメリカンカップ 6位
- 2008年
- FIVBワールドグランプリ 4位
- 北京オリンピック 銀メダル