キャサリン・パターソン
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前半生
1932年、中国の江蘇省の淮安市で、宣教師のウィメルドーフ(Womeldorf)夫妻の娘として生まれた。一家は1937年から50年の期間、13回の引越しをした。父ジョージの宣教師の仕事と、中国における戦乱のためである。キャサリンは土地に馴染む暇がなかった。彼女は孤独を紛らわすため、若くして創作を始めた。
パターソンが最初に身に付けた言語は中国語であり、当初は英語の読み書きが困難であった。彼女はそれを克服し、1954年にはテネシー州ブリストルのキング大学を優等で卒業した。ヴァージニア州の小学校で1年間教鞭を執ったのち、聖書とキリスト教教育に関する研究で、リッチモンドの長老派教会教育学校から修士号を得た。パターソンは宣教師として中国に行くことを望んだが、当時の国際情勢では不可能であった。代わりに、日本人の友人に勧められて日本へ。日本には4年間ほど滞在し、日本文化と中国文化を学んだ。このことは、後年の作品に大きな影響を与えることとなった。
帰国後、宗教教育に関する研究で2つ目の修士号を取得すべくニューヨークに行き、長老派の聖職者ジョン・パターソンと出会う(1962年7月14日に結婚)。夫婦はメリーランド州に居を構え、2人の子を儲け、また2人の養子を引き取った。
作家時代
1966年、パターソンは最初の長編小説"Who am I?"を書いたが出版は成らなかった。続いて児童向け長編"The Sign of the Chrysanthemum"『菊の紋(未訳)』を上梓。これは日本の昔話を題材にした作品で、1973年に出版された。1977年の『テラビシアにかける橋』では愛や死といった主題を扱い、賛否両論を巻き起こしたが、ニューベリー賞を受賞し、彼女の代表作となった。
パターソンは他に全米図書賞、国際アンデルセン賞、アストリッド・リンドグレーン記念文学賞などの受賞歴もある。なお彼女は1981年に『海は知っていた』で2度目のニューベリー賞を受賞し、同賞を複数回受賞した数少ない作家の1人となった。
