キンボルトン城

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座標北緯52度17分47秒 西経0度23分18秒 / 北緯52.2964度 西経0.3884度 / 52.2964; -0.3884座標: 北緯52度17分47秒 西経0度23分18秒 / 北緯52.2964度 西経0.3884度 / 52.2964; -0.3884
種類18世紀の宮殿を改造したモット・アンド・ベイリー形式
コードGB-EAW
現況キンボルトン・スクール英語版として使用。
キンボルトン城 
キンボルトン英語版ハンティンドンシャー英語版
キンボルトン城
キンボルトン城の位置(イングランド内)
キンボルトン城
イングランドにおける
キンボルトン城の位置
座標北緯52度17分47秒 西経0度23分18秒 / 北緯52.2964度 西経0.3884度 / 52.2964; -0.3884座標: 北緯52度17分47秒 西経0度23分18秒 / 北緯52.2964度 西経0.3884度 / 52.2964; -0.3884
種類18世紀の宮殿を改造したモット・アンド・ベイリー形式
コードGB-EAW
施設情報
現況キンボルトン・スクール英語版として使用。

キンボルトン城英語: Kimbolton Castle)は、イングランドケンブリッジシャー州ハンティンドンシャー英語版にあるカントリー・ハウスイングランド王ヘンリー8世の最初の妻であるキャサリン・オブ・アラゴンの終の棲家だった。元々は中世様式の城であったのを威厳のある宮殿に改造された。1615年から1950年にかけてマンチェスター公爵家の邸宅であった。現在はキンボルトン・スクール英語版として使用されている。

ウォーレン・ハウス

1880年のキンボルトン城。この図版は1690年から1720年にかけて再建された大邸宅を示している。

この城は13世紀初頭に初代エセックス伯爵ジェフリー・フィッツピーター英語版によって建てられた[1][2]。中庭は15世紀後期にリチャード3世王妃のアン・ネヴィルによって改装された[1]

1522年、この城はサー・リチャード・ウィンフィールド英語版に購入された[1]

その後、キンボルトン城はイングランド王妃キャサリン・オブ・アラゴンの終の棲家となった。キャサリン・オブ・アラゴンは、国王ヘンリー8世の王妃であったが、1531年には別居させられた。彼女は王妃の立場を譲位したり、結婚の有効性を否定することを拒んだため、1534年5月にキンボルトン城に幽閉された[1][3]。幽閉されてからもキャサリンは近隣住民から慕われて、「クイーン(王妃)」と呼ばれていたという[4]1536年1月に王妃は城内で亡くなった[5]

1615年、サー・ヘンリー・モンタギュー英語版[注釈 1]がこの城を購入し、1950年に売却されるまでモンタギュー家の居城であった[1][6]

現存する城館は、子孫の第4代マンチェスター伯爵チャールズ・モンタギュー[注釈 2]1690年から1720年にかけて整備した[6]。一連の整備は建築家ジョン・ヴァンブラの設計によっており、崩落した南側のウィングを再建することも含まれていた[1]第4代マンチェスター公爵ジョージ・モンタギューは楼門主塔(1766年建設)の設計を新古典主義建築家ロバート・アダムに依頼した[1]

モンタギュー一族の多くはキンボルトンのセント・アンドルース教会に埋葬されている。一族の地下墓所が北礼拝堂に置かれている一方(1853年に延長)、数名分の墓碑は今もなお南礼拝堂に存在している[7]

1950年、第10代マンチェスター公爵アレクサンダー・モンタギュー英語版は邸宅を売却し、1951年に城と50エーカー (200,000 m2)の土地はキンボルトン・スクール英語版に売り渡された[8]

この城の土地にはかつてワレナーと呼ばれる猟場番人が暮らしていたウォーレン・ハウスがあり、それは城に唯一の装飾的ファサードを備えた彼の領域に面白みを加えるために、城の居住者の1人の指令で改装された18世紀後期のフォリーであった。なお、ここはイングランドの第2*級指定建築物に指定され、ランドマーク・トラスト英語版が所有している[9][10]

関連項目

脚注

参考文献

外部リンク

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