ギャレット・ウェズリー (初代モーニントン伯爵)
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1735年7月19日に後に初代モーニントン男爵となるリチャード・ウェズリーとその妻エリザベス(Elizabeth、旧姓セール(Sale)、1738年6月17日没、ジョン・セールの娘)の間の長男として生まれる[1]。
ダブリン大学トリニティ・カレッジを卒業。1754年にB.A.、1757年にM.A.学位を受けた。音楽の才能があり、1764年7月7日には音楽博士号を受けた[2][3]。その1週間後の1764年7月14日に同大学初の音楽教授に任命され、1774年6月7日に辞任した[3]。辞任の数日後、トリニティ・カレッジのプロヴォストであるフランシス・アンドルーズが死去、後任のジョン・ヒーリー=ハチンソンは音楽教授を任命しなかった[3]。トリニティ・カレッジで音楽教授が再び任命されるのは数十年後の1845年となった[3]。
1757年から1758年までトリム選挙区から選出されてアイルランド議会庶民院議員を務めた[4]。
1758年1月31日に父が死去すると、モーニントン男爵位を継承した[1]。さらに1760年10月2日にアイルランド貴族であるミーズ県におけるモーニントン伯爵とダンガン城のウェルズリー子爵に叙せられた[1]。伯爵位を与えられたのは彼の音楽の才能にジョージ3世が感心したことによるという[5]。
フリーメイソンで活躍し、トリム・ロッジNo.494のマスターを務めた後、1776年から1777年にかけてアイルランド・グランドロッジのグランドマスターとなった[6]
1776年9月にはアイルランド枢密院の枢密顧問官となった[5]。
1781年5月22日にロンドンのケンジントンで死去した[5]。爵位は長男リチャード・ウェルズリーが継承した[1]。
