ギュンター・ラドゥシュ
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19XX年 - 45年(ドイツ空軍)
19XX年 - 71年(ドイツ連邦空軍)
| Günther Radusch | |
|---|---|
| 1912年 11月11日 - 1988年 7月29日 | |
| 渾名 | フィップス(Fips) |
| 生誕 |
|
| 死没 |
ノルトストランド |
| 軍歴 |
1934年 - XX年(ドイツ陸軍) 19XX年 - 45年(ドイツ空軍) 19XX年 - 71年(ドイツ連邦空軍) |
| 最終階級 |
大佐(ドイツ空軍) (ドイツ連邦空軍) |
| 指揮 |
第3夜間戦闘航空団/第II飛行隊 第5夜間戦闘航空隊 |
| 戦闘 | |
| 勲章 |
剣付スペイン十字章金章 柏葉付騎士鉄十字勲章 |
ギュンター・ラドゥシュ(Günther Radusch、1912年 11月11日 - 1988年 7月29日)は、第二次世界大戦時のドイツ空軍で6番目に撃墜数の多い夜間戦闘機のエース・パイロットである[脚注 1]。また柏葉付騎士鉄十字勲章の受勲者である。騎士鉄十字勲章とそれより上位の柏葉剣付は戦場での卓越した行為や軍事上のリーダーシップを発揮した者に授与された。ギュンター・ラドゥシュは合計65機の撃墜を記録した。その内の1機はスペイン内戦で、57機の4発爆撃機を含む残りの64機は140回以上の夜間の作戦飛行での戦果であった。
学生時代は熱心なグライダー操縦士であったラドゥシュは空軍に転籍する以前はドイツ陸軍で軍役に就いていた[1]。ギュンター・リュッツオウ、ヴォルフガング・ファルク、ハンネス・トラウトロフトといった他9名と共にラドゥシュはロシアのリペツク戦闘機パイロット学校での「特別訓練」(Sonderausbildung)の要員に推薦された[2]。1936年10月にコンドル軍団の一員の少尉としてスペインへ送られた[3]。1937年4月22日に自身のスペイン内戦での唯一の撃墜を記録したが、同僚パイロットである第88戦闘飛行隊/第2中隊のフランツ・ハイルマイヤー(Franz Heilmayer)軍曹も1機のポリカルポフ I-15を撃墜していたことから、このどちらかの戦果が7機撃墜のエースパイロットであるフェリペ・デル・リオ・クレスポ(Felipe del Río Crespo)の乗機であった[4]。また、ラドゥシュはスペインでハインケル He 112 B-1の実戦でのテストも行った[5]。スペインでの功績により剣付スペイン十字章金章 (Spanienkreuz in Gold mit Schwertern) を授与された[1]。