ギヨーム4世 (トゥールーズ伯)
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| ギヨーム4世 Guillaume IV | |
|---|---|
| トゥールーズ伯 | |
| 在位 | 1061年 - 1094年 |
| 全名 | Guillaume IV de Toulouse |
| 出生 |
1040年ごろ |
| 死去 |
1094年 |
| 配偶者 | マティルド |
| エマ・ド・モルタン | |
| 子女 |
マティルドの子: ポンス 名前不明の息子 エマ・ド・モルタンの子: フィリッパ |
| 家名 | トゥールーズ家 |
| 父親 | トゥールーズ伯ポンス |
| 母親 | アルモディス・ド・ラ・マルシュ |
ギヨーム4世・ド・トゥールーズ(フランス語:Guillaume IV de Toulouse, 1040年ごろ - 1094年)は、トゥールーズ伯、プロヴァンス辺境伯およびナルボンヌ公(在位:1061年 - 1094年)。トゥールーズ伯ポンスとアルモディス・ド・ラ・マルシュの息子[1]。1067 年以前に、出自不明の女性マチルダと結婚し、ポンスと名前不明の息子の二男をもうけたが、ポンスは1079年5月15日以前に、もう一人の息子も1094 年以前に若死した。
ギヨーム4世には、無事に育った男子がおらず一人娘のフィリッパしかいなかった。しかし、トゥールーズには女性の相続の前例がなく、継承に関し問題が起こった。1088年、ギヨーム4世が聖地に向け旅立つとき、ギヨーム4世は弟レーモン・ド・サン=ジルを代理統治者とした(後にレーモンは継承を主張した)。5年後ギヨーム4世は死去し、弟レーモンが権力を握った[注釈 1]。しかしフィリッパはアキテーヌ公ギヨーム9世と結婚した後、トゥールーズの領有権を主張し、レーモンとその子供たちからトゥールーズを取り戻すため何年にもわたり争うこととなった[3]。