ブリュッセルの労働者階級の家に生まれた。初等学校を卒業した後、塗装、室内装飾の職人の見習いになり、親方の資格を得て、後に自らの工房を開いた。
ギリシャ出身でパリでギュスターヴ・クールベに学んだ後、ブリュッセルで働いていた画家、パンタジス(Périclès Pantazis:1849-1884)と友人になり、パンタジスから新しい絵画の技術を学んだ。1870年にパリを訪れ、「バルビゾン派」の画家たちの影響を受けた。ベルギーに戻り、1874年にヘントの展覧会に初めて出展するが批評家からの評価は低く、ヴォーゲルスの作品が認められるようになるのは1880年頃になってからで、この年サロン・ド・パリに出展した。1884年にベルギーの前衛的な美術団体、「20人展」にパンタジスとともに招待メンバーとなった。「20人展」を通じて、ジェームズ・アンソール(1860-1949)らの若いベルギーの画家たちと知り合い、アンソールとはイギリスやオランダを旅した。
1893年に「20人展」が解散した後、新たに設立された「ラ・リーブル・エステティーク(自由美学)」という美術団体に属してその展覧会に出展した。