20人展

From Wikipedia, the free encyclopedia

1889年の20人展のポスター

20人展(にじゅうにんてん、フランス語: Les XX(レ・ヴァン))とは、1883年ベルギーの画家、デザイナー、彫刻家たち20人を会員として発足したグループである。ブリュッセルの法律家、出版業者であり起業家であるオクターヴ・モース英語版が主導して結成された。

10年間にわたり、毎年展覧会を開催し、そこには国内外からの20人の画家たちも招待された。招待された画家には、カミーユ・ピサロ(1887年、89年、91年)、クロード・モネ(1886年、89年)、ジョルジュ・スーラ(1887年、89年、91年、1892年)、ポール・ゴーギャン(1889年、91年)、ポール・セザンヌ(1890年)、フィンセント・ファン・ゴッホ(1890年、91年)などがいる。

その前身といえるのがエソール展英語版であったが、ジェームズ・アンソールの「牡蠣を食べる人」(1883年)がアントウェルペン・サロンで却下された後にエソール展でも却下されたことが、20人展結成に至るきっかけの一つであった。

1893年、20人展は自由美学展に改組された。

20人展のグループは、1883年10月28日、ブリュッセルで、官立サロンやエソール展(「上昇」展)の保守的な運営方針に不満を持つ画家たちによって設立された。エソール展もまたサロンに反対の立場から設立されたが、20人の画家から成る理事会の運営方針は硬直的であった。

20人展では、理事会は11人の画家によって構成されたが、法律家、ジャーナリスト、美術評論家でもあるオクターヴ・モースが事務局長を務め、硬直的な規則から自由な立場で行動することが可能であった。1884年から1893年にかけて、毎年、通常1月から3月までの時期に展覧会を開催した。その展覧会の運営は、ローテーションで構成される3人の委員会が担当した。20人の構成員に加え、国内外から20人の画家も招待され、作品を展示することとされた。展覧会の開催中は、文学の講座や討論会が行われたり、1888年からはヴァンサン・ダンディ作曲による音楽の演奏会が開かれたりもした[1]

1881年には、オクターヴ・モース、エドモン・ピカール、エミール・ヴェルハーレンが主導して評論集『現代美術』を発刊するなど、20人展においては美術、音楽、文学の間の強い結びつきが意識されていた。

会員

11人の創立メンバー

9人の被招待メンバー

設立後招待された12人のメンバー

年次展覧会

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI