クラウディア・ロート
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| クラウディア・ロート Claudia Roth | |
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2014年 | |
| 生年月日 | 1955年5月15日(70歳) |
| 出生地 |
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| 出身校 | ミュンヘン大学 |
| 所属政党 | 同盟90/緑の党 |
| 内閣 | ショルツ内閣 |
| 在任期間 | 2021年12月8日 - |
| 在任期間 | 2013年10月22日 - 2021年12月8日 |
| 在任期間 |
2001年3月9日 - 2002年12月7日 2004年10月2日 - 2013年10月19日 |
クラウディア・ベネディクタ・ロート(ドイツ語: Claudia Benedikta Roth、1955年5月15日 - )は、ドイツの政治家。同盟90/緑の党に所属し、同党の共同党首や連邦議会副議長を歴任した。
政治活動
ウルム生まれ。バイエルン州バーベンスハウゼンで育つ。父は医師、母は歯科医であった。妹が2人。カトリック教会の洗礼を受けるが、女性の役割に対するカトリック教会の考え方に不満を持ち、離脱している。クルムバッハのギムナジウムに通い、学級委員や生徒会長を務めた。1974年にアビトゥーアに合格して演劇学の勉強を始めるが、1年で中退。メミンゲンのシュヴァーベン州立劇場で脚本家として働く。ついでドルトムントやウンナの市立劇場に勤める。1982年にはロックバンド Ton Steine Scherben のマネージャーとなるが、1985年にこのバンドは解散した[1]。
1971年から1990年まで自由民主党の下部組織(1982年に分離独立)であった若い民主主義者(Jungdemokraten) に所属していた。1987年、緑の党に加入[2]。1985年から1989年まで、緑の党のドイツ連邦議会議員団報道官を務めた。1989年、欧州議会議員に当選[3]。1994年から同議会で同盟90/緑の党議員団長を務め、市民の自由・内務委員会、外交委員会、特別調査委員会などに属する。EU・トルコ委員会副委員長。
1994年には同性愛者の権利を求める「ロート報告」可決に尽力。またトルコ国内の少数民族クルド人の権利擁護運動に尽力した[4]。1994年にはイスタンブールに事務所を開設。トルコのアイワズ・ギョクデミル次官にトルコの人権状況を伝えようとしたところ「売春婦」と罵られたため、慰謝料を求めて法廷闘争を繰り広げ、勝ち取った慰謝料をトルコの婦人権利擁護団体に寄付した[5]。トルコのEU加盟には賛成している[6]。
1998年連邦議会選に立候補し、当選。人権・人道支援委員会委員長を務める。党の婦人政策広報官も兼任。
同盟90/緑の党党首

2001年3月9日、同盟90/緑の党党首に選出される[7]。同盟90/緑の党は連邦議会議員の党首兼任を認めていなかったため、2002年9月の連邦議会選での再選を機に、2002年12月の党首選の候補に名乗り出なかった。2002年より連邦議会外交委員会委員代理。2003年の党大会で連邦議会議員と党首の兼任禁止が緩和されたため、2004年10月にラインハルト・ビュティコーファーと共に党首に選出された。2003年から2004年、ドイツ政府人権政策及び人道支援担当参与を務める。2005年の連邦議会選で再選し、2006年12月の党大会では66%の得票で党首続投が支持された。2008年11月にも82.7%の支持を得て、新たに選出されたジェム・オズデミルと共に党首に再選された[8]。2012年11月の党大会では88.5%の得票で党首に再選[9]。
2013年から2021年までドイツ連邦議会の副議長を務めた[3]。
2021年に、同盟90/緑の党と社会民主党(SPD)、自由民主党(FDP)の3党連立により発足したショルツ内閣で、文化・メディア大臣に就任した[10]。
表彰
2004年6月30日、人権擁護や人道支援での活動を賞され、フランス政府よりレジオンドヌール勲章(騎士級)を授与されている。
語録
- 「好むと好まざるとに関わらず、ドイツは多文化主義社会です。緑の党は『多文化社会はもはや夢ではない』をモットーに、移民政策で守りに入ることはありません」(『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』、2004年11月20日付)