Wikiwand AI

クラウディオ・マルキジオ

イタリアのフットボール選手 From Wikipedia, the free encyclopedia

クラウディオ・マルキジオClaudio Marchisio, イタリア語発音: [ˈklaudjo marˈkiːzjo]; 1986年1月19日 - )はイタリアトリノ県キエーリ生まれの元サッカー選手。元イタリア代表。ポジションはミッドフィールダー。苗字は「マルキージオ」と表記されることが多いが、カナ転記としては「マルキーズィオ」が現地音に近い。

愛称 プリンチピーノ
ラテン文字 Claudio Marchisio
生年月日 (1986-01-19) 1986年1月19日(40歳)
概要 クラウディオ・マルキジオ, 名前 ...
クラウディオ・マルキジオ
2021年のマルキジオ
名前
愛称 プリンチピーノ
ラテン文字 Claudio Marchisio
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1986-01-19) 1986年1月19日(40歳)
出身地 キエーリ
身長 179cm
体重 76kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
1993-2006 イタリアの旗 ユヴェントス
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2006-2018 イタリアの旗 ユヴェントス 294 (33)
2007-2008 イタリアの旗 エンポリ (loan) 26 (0)
2018-2019 ロシアの旗 ゼニト・サンクトペテルブルク 9 (2)
通算 329 (35)
代表歴
2001-2002  イタリア U-16 7 (3)
2002-2003  イタリア U-17 7 (1)
2004  イタリア U-18 4 (0)
2005  イタリア U-19 1 (1)
2006-2007  イタリア U-20 3 (0)
2007-2009  イタリア U-21 15 (1)
2008  イタリア・オリンピック 1 (0)
2009-2017 イタリアの旗 イタリア 55 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。2019年7月2日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
閉じる

ユヴェントスではカルチョ・スキャンダル後の黄金時代を支え、2度のUEFAチャンピオンズリーグ決勝進出、史上初のセリエA7連覇を達成した主要メンバーであった[1]。イタリア代表としては2010年FIFAワールドカップ南アフリカ大会2014年FIFAワールドカップブラジル大会に出場、2012年UEFAヨーロッパ選手権ではイタリアの準優勝に貢献した。

クラブ経歴

ユヴェントスでプレイするマルキジオ(2005年)

1993年にユヴェントス下部組織に入団。2006-07シーズンの途中にファーストチームへ昇格するとポジションを掴み、ユヴェントスのセリエA昇格に貢献した。2007-08シーズンエンポリ期限付き移籍し26試合に出場したが、奮闘むなしくセリエB降格となった。

2008-09シーズンからはユヴェントスに復帰。第20節のフィオレンティーナ戦で決勝点となるセリエA初ゴール。当時のラニエリ監督の下でポジション争いに勝ち、セバスティアン・ジョビンコパオロ・デ・チェリエらと共にクラブの将来を担う選手として期待された。また、彼らと共に2008年、北京オリンピックの代表にも選出された。

2009年12月5日のインテルとのイタリアダービーでは、1-1のスコアからの58分、モハメド・シソッコが放ったミドルシュートGKジュリオ・セザルが右腕一本で弾き、このこぼれ球をエリア内に詰めていたマルキジオが巧みなボール捌きでシュートブロックに来たワルテル・サムエルドリブルでかわし、続いて飛び込んで来たジュリオ・セザルの左肩越しへチップ気味に浮かしたシュートを決め、これが決勝点になった。

2010年3月11日、ELベスト16フラム戦1stレグにおいて、キャプテンアレッサンドロ・デル・ピエロサブメンバー、副キャプテンのジャンルイジ・ブッフォンジョルジョ・キエッリーニが共に怪我で欠場、62分にキャプテンマークを付けていたダヴィド・トレゼゲが交代でピッチを退いた等の条件が重なった為、初めてキャプテンを任された。2010-11シーズンはセリエAベストイレブンに選出された。

2011-12シーズンは、6節のACミラン戦では2ゴールを決めミランの撃破を助けると、10節のインテルとのイタリアダービーでは決勝ゴールを決め、キャリア200試合となった36節のレッチェ戦ではゴールも決めるなど[2]、2年連続となるセリエAベストイレブンに選ばれた[3]

2012-13シーズン、デルピエロの退団により10番を着ることを打診されたが断った[4]。15節のトリノダービーでは2ゴールの活躍でトリノ撃破を助け、34節のトリノダービーでもゴールを決める活躍を見せた。またUEFAチャンピオンズリーグ、グループステージのFCノアシェラン戦、決勝トーナメント1回戦のセルティックFC戦でゴールを決めるなどの活躍を見せ、2012年のUEFAチームオブザイヤーのノミネートされた。

2013-14シーズン、第19節のカリアリ戦でミドルシュートでゴールを決め、ボローニャ戦でセリエA200試合出場を達成した[5]

2014-15シーズン、第2節のウディネーゼ戦ではアウトサイドにかけた見事なミドルシュートを決め、第36節インテル戦ではPKでゴールを決め、イタリアダービーの勝利を助けた。UEFAチャンピオンズリーグではファイナルで敗れ優勝はならなかったが、同大会のベストイレブンに選ばれた[6]。2015年7月、クラブとの契約を2019-20シーズンまで延長[7][8]

2015-16シーズンからはアンドレア・ピルロ退団後の中盤の要として従来よりも低い位置でプレー。シーズン序盤こそ負傷で欠場が多かったが、復帰後はチームのパス回しの中心となっていた、しかし、2016年4月、パレルモ戦で左ひざの靭帯十字部分断裂という重傷を負い、2015-16シーズンを終了。EURO2016参加も断念することになった[9]

2016-17シーズン、2016年10月26日のUCサンプドリア戦で復帰、チャンピオンズリーググループステージのセビージャFC戦でペナルティーキックでゴールを決めた[10][11]。セリエAでは第25節パレルモ戦でゴールを決め、2017年4月15日ペスカーラ戦でセリエA250試合出場を達成した[12]。2016-17シーズンはサミ・ケディラの控えにまわる事も増えたが、チャンピオンズリーグ準決勝の1sレグ、出場停止のケディラに代わり先発、先制点の起点となるなど好プレーを見せ[13]、2ndレグの試合では怪我のケディラとの交代で出場、ファイナル進出に貢献した。

2017-18シーズン、セリエA前人未到の7連覇のメンバーになるも、怪我などの影響もあり、出場機会を大幅に減らし、ユヴェントスからの退団、MLSやJリーグへ移籍の可能性が報道される中[14]、新シーズンに向けたユヴェントスUSツアーなどのプレシーズンマッチには出場していたが、セリエA開幕を控えた2018年8月17日、双方の合意に基づき突如ユヴェントスとの契約を解除、下部組織時代から含めると25年所属したユヴェントスからの退団が決定した[15]。2017-18シーズンのエラス・ヴェローナ戦に先発出場したのがユヴェントスでの最後の公式戦となった。

2018年9月3日、パリ・サンジェルマンポルトベンフィカアトレティコ・マドリードなどへの移籍の話が出ていたが[16][17]FCゼニト・サンクトペテルブルクに2年契約で加入[18]。9月30日、FCアンジ・マハチカラ戦で先発出場からゼニト移籍後初ゴールを決めた[19]、怪我で17節以降を欠場したが、ゼニトは優勝を果たした、個人としては8年連続のリーグ優勝となった。

2019年7月、ゼニトとの契約を解除し、退団した[20]

ASモナコ、中東、日本のクラブへの加入も話題に上ったが、2019年10月3日、自身のSNSを通じて現役引退を発表した。ユヴェントス・スタジアムで行われた記者会見では「ユーベでプレーすることを夢見たトリノの一少年だったが、それをかなえることができた」と語った[21]。現役最後のゴールは2018年11月4日ロシアプレミアリーグのFCテレク・グロズヌイ戦におけるPK、出場試合は2019年2月12日ヨーロッパリーグ、フェネルバフチェ戦に5分出場したものとなった[22]

代表経歴

EURO2012でのマルキージオ

2009年8月12日にスイスとの親善試合にて同じユヴェントスの下部組織出身であるドメニコ・クリシートと共にA代表デビューを果たした。

2010 FIFAワールドカップの代表メンバーにも選出され、2試合に出場したが一次リーグで敗退[23]

2011年10月7日のUEFA EURO 2012予選セルビア戦で代表初得点を挙げた[24]

UEFA EURO 2012ではレギュラーとして6試合でプレー、イタリアのファイナル進出に貢献したが、スペインに敗れ準優勝に終わった。

2014 FIFAワールドカップ・イタリア代表に選出され、一次リーグ全3試合に出場、初戦のイングランド戦で先制点となるペナルティエリアの外からのミドルシュートによるゴールを決めたが[25]、第3戦のウルグアイ戦ではレッドカードを受け、退場処分となった。

2016年怪我の為、UEFA EURO 2016に出場出来なかった[26]

2017年5月、2015年6月以来となる代表復帰、ウルグアイとの親善試合、2018年W杯欧州予選グループGリヒテンシュタイン戦に向けたイタリア代表メンバーに選出され、ウルグアイ戦に出場した。

プレースタイル

ユヴェントスユース出身の生え抜き選手であり、アレッサンドロ・デル・ピエロに続くバンディエラとして期待されていた[27]。センターハーフ、サイドハーフ[28]、トップ下[29]など中盤のほとんどの位置でプレーすることができるMF。運動量豊富で、強烈なミドルシュートや背後への飛び出しといったフィニッシュに絡む仕事、レジスタ”として試合を組み立てる仕事も出来る[14]。ただ本人はセントラルハーフを自身の本職であるとしており[28]、また自身の持ち味がスペースへの飛び出しであると考えていた[29]

しばしばマルコ・タルデッリと比較された[30]

人物・エピソード

  • 2016年3月2日に行われたコッパ・イタリア準決勝戦インテル戦において、延長戦後半にシモーネ・ザザがイエローカードを提示された場面のイタリア放送協会のTV実況を「(実況はザザが)蹴っ飛ばしたという。目の見えない人が実況しているんだ」とTwitterにて批判した。イタリア代表選手が国営放送の実況を批判した事や「目の見えない人」という表現を使った事が問題視され、マルキジオは3日に謝罪した[31]
  • 『Pincipino(プリンチピーノ=王子さま)』のニックネームのとおり、水色に澄んだ瞳と優しい顔立ちで、モデルとして香水の広告に起用されたり、日本でもイケメンプレーヤーとして注目されたことがあった[1]
  • ゼニトでの背番号に10番を選択した理由を、憧れのユーヴェの先輩デル・ピエロの影響であることを明かし「重みのある背番号であることは理解している。だが昔から僕のお気に入りの番号だったんだ。子供の頃、デル・ピエロが背負っているのを見ていた。だからこそ大きな敬意を払って扱いたい」と語った[32]
  • ユベントス時代のチームメイト・アルマン・トラオレによれば、マルキジオは1日に4箱もたばこを吸っていたと証言した一方で、「マルキジオほどに走る人を見たことがない」と評している[33]

個人成績

クラブでの成績

2017-2018シーズン終了時

さらに見る シーズン, クラブ ...
シーズン クラブ リーグ戦 カップ戦 欧州カップ戦 スーパーカップ 合計
コンペ 出場 得点 コンペ 出場 得点 コンペ 出場 得点 コンペ 出場 得点 出場 得点
2006-2007ユヴェントスB250CI10------260
2007-2008エンポリA260CI10UC20---290
エンポリ2601020--290
2008-2009ユヴェントスA243CI20CL60---323
2009-2010A283CI00CL+EL4+30+0---353
2010-2011A324CI10EL80---414
2011-2012A369CI31------3910
2012-2013A296CI20CL82SI10408
2013-2014A294CI20CL70SI00384
2014-2015A353CI40CL120SI10423
2015-2016A230CI30CL50SI10320
2016-2017A181CI20CL81SI00281
2017-2018A150CI40CL10SI00200
ユヴェントス294332416635038937
合計320332416630-5041837
閉じる

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 55試合 5得点(2009年-2017年)[34]
さらに見る イタリア代表, 国際Aマッチ ...
イタリア代表国際Aマッチ
出場得点
200920
201070
201191
2012130
2013101
2014102
201531
201710
通算555
閉じる

得点

さらに見る #, 開催年月日 ...
#開催年月日開催地対戦国スコア結果試合概要
12011年10月7日セルビアの旗ベオグラード セルビア1–01–1UEFA EURO 2012予選
22013年6月11日ブラジルの旗リオデジャネイロ ハイチ2–02–2親善試合
32014年6月4日イタリアの旗ヴェローナ リヒテンシュタイン1–01–1親善試合
42014年6月14日ブラジルの旗マナウス イングランド0–11–22014 FIFAワールドカップ
52015年11月17日イタリアの旗ボローニャ ルーマニア1–12–2親善試合
閉じる

タイトル

クラブ

ユヴェントスFC
ゼニト

代表

個人

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks