クラクフ会議
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出席者
会議の様子と内容
会議の場は豪勢に彩られており、ポーランド王の権勢と富がヨーロッパ中に知れ渡った。クラクフ商人ミコワイ・ヴィエジネクの邸宅でも、市議会主催の宴会が催された。ヤン・ドゥウゴシュによれば、この21日も続いた大宴会は、前年に実現したカール4世とカジミェシュ3世の孫エリーザベト・フォン・ポンメルンの結婚祝いも兼ねていた[1]。
この会議に関する中世の文献は、それぞれ時期や議題の説明の記述が一致していない。場合によっては、1363年の結婚式にかかわる会議と、1364年のより政治的な会議が別個に行われていた可能性もある。1364年の会議の主な議題の一つに、男子がいないカジミェシュ3世の後のポーランド王位をハンガリーのアンジュー家が継承するという点があり、またラヨシュ1世とスウプスク公カジミェシュ4世らの和平が、カジミェシュ3世やボルコ2世らの仲裁により実現した[2]。
史料
クラクフ会議に関する重要な文献としては、ヴィエジネク邸での宴会をうたったギヨーム・ド・マショーの詩がある[3]。
