クラゾメナイ
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クラゾメナイはアナトリア半島の西海岸、現在のウルラ (Urla) にあたり、イズミル湾の南岸、イズミルの西方20マイルほどのところに位置していた。もともとはアナトリア本土にあったが、紀元前5世紀のイオニアの反乱のころアケメネス朝から逃れるために海岸にほど近い島に移転した。その後、アレクサンドロス3世が本土とつなぐ道を建設させた。都市には港があり、海に面した平野と南の低い丘に人々が居住していたが、市街地は徐々に移動していった。市街地の北にあった Karantina という島も歴史上のある時点からクラゾメナイの一部となっている。
神話
歴史
イオニア人が建都したとされているが、初期の入植者は主にプレイウスやクレオナイからの人々だった。もともとはエリュトライのあった半島と本土とを結ぶ地峡に位置していた。しかし、ペルシア人の侵入に驚いた住民らは湾内の小さな島に移住し、そこに新たな都市を作った。この島にはアレクサンドロス3世が橋を作って本土と繋いだ。橋脚の一部が今も残っている。
紀元前5世紀ごろアテナイの支配下になったこともあるが、ペロポネソス戦争の中ごろ(紀元前412年)に反乱が起きている。しかし長くは続かず再びアテナイの支配下となり、スパルタ人の攻撃をはねつけた。紀元前387年、クラゾメナイを含む小アジアの諸都市はペルシアの支配下に入ったが、独自の貨幣を発行し続けていた。
ローマ帝国時代にはアジア属州の一部となったが、租税を免除されていた。
クラゾメナイの名は、哲学者アナクサゴラスの生誕地として有名である。

