ジョージ・プランタジネット (クラレンス公)
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生涯
エドワード4世の後見人ウォリック伯リチャード・ネヴィルは、エドワード4世がエリザベス・ウッドヴィルと密かに結婚したころから、外交政策をめぐりエドワード4世と対立するようになった。1469年7月11日、ウォリック伯は年長の娘イザベル・ネヴィルとジョージを結婚させてエドワード4世を牽制した。1470年、ウォリック伯はジョージを誘ってエドワード4世を討伐し、ヘンリー6世を復位させた。
政権を掌握したウォリック伯は、年少の娘アン・ネヴィルをヘンリー6世の世嗣エドワードに嫁がせてネヴィル家の安泰を図った。1471年、王座への道を絶たれたジョージは弟グロスター公リチャード(後のリチャード3世)の説得を受け入れ、3兄弟結束してウォリック伯を破って敗死させ、ヘンリー6世とエドワード王太子を殺害した。
1472年、王太子未亡人アン・ネヴィルが弟リチャードと結婚すると、ウォリック伯領の相続をめぐって兄弟は対立するようになった。妻イザベルが1476年に死んだことも災いして、ジョージはウォリック伯領の相続争いに敗れ、エドワード4世への反逆を疑われ、ロンドン塔に送られて処刑された。
シェイクスピアの「リチャード三世」では、自身の処刑方法への当人の希望でマームジー(Malmsey)ワインの酒樽で溺死したとされる。これはケルト人の伝説に則ってのものである。