クリスティアン・シンディング
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最初はヴァイオリニストを志し、オスロでグドブラン・ベーンにヴァイオリンを、ルドヴィク・マティアス・リンデマンに音楽理論を学んだ。1874年からライプツィヒ音楽院でヘンリ・シュラディークにヴァイオリンを、カール・ライネッケとザロモン・ヤーダスゾーンに音楽理論と作曲を学び、やがて作曲に才能があることがわかり作曲家に転向した[2]。初期の試みはあまりうまくいかなかったが(彼はのちにいくつもの初期の作品を破棄している)、1885年に初演されたピアノ五重奏曲ホ短調 op.5を皮切りに、変奏曲 op.2(1886年初演)やピアノ協奏曲変ニ長調 op.6(1889年初演)、交響曲第1番ニ短調 op.21(1890年初演)が国際的な好評を得たことにより、ノルウェーの音楽界における地位を確立した[2]。
シンディングは40年近くもの長い間ドイツに住み、ドイツの音楽界と密接な繋がりがあったが、ノルウェー政府により1880年から定期的な奨励金を、1910年からは年金を支給されていた[2]。1921年には数か月間ニューヨーク州ロチェスターのイーストマン音楽学校の作曲の客員教授となった[3]。1924年には彼の栄誉を称えてノルウェー政府からヘンリック・ヴェルゲランの邸宅であった「グロッテン」が住居として提供された[2]。
作品
ドイツ・ロマン派、特にリスト、ワーグナー、シュトラウスの影響が色濃い[1][2]。ピアノやヴァイオリンを用いる作品が大きなウェイトを占めており、中でも有名なのはピアノ曲『春のささやき』である[4]。
彼が生涯ドイツ・ロマン派の語法を固守したことや、死の直前にナチスのプロパガンダに利用されたことが原因となり[5]、ほとんどの作品はレパートリーから消えてしまっていたが、ロマン派の音楽への興味の復活に伴い、他の作品が演奏されることも次第に増えてきている[4]。現在『春のささやき』以外では、ヴァイオリンと管弦楽による組曲『古い様式で』(Op.10)も演奏会で取り上げられる機会があり、録音も多い。
以下、括弧内は作曲年を表す。
交響曲
- 交響曲第1番 ニ短調 op.21(1880-1890年[1]、1892年改稿[2])
- 交響曲第2番 ニ長調 op.83(1903-1904年[1])
- 交響曲第3番 ヘ長調 op.121 (1920年[1])
- 交響曲第4番 『冬と春』 op.129(1921-1936年[1])
協奏曲
- ピアノ協奏曲ニ長調 op.6 (1889年[1])
- ヴァイオリン協奏曲第1番イ長調 op.45 (1898年[1])
- 伝説 op.46 (1900年[1])
- ヴァイオリン協奏曲第2番ニ長調 op.60 (1901年[1])
- ロマンス ニ長調 op.100 (1910年[1])
- ヴァイオリン協奏曲第3番イ短調 op.119 (1917年[1])
室内楽曲
- ピアノ五重奏曲ホ短調 op.5 (1882-1884年[1])
- 組曲イ短調 op.10『古い様式で』 (1889年[1])
- ピアノ三重奏曲第1番ニ長調 op.23 (1893年[1])
- ピアノ三重奏曲第2番イ短調 op.64a (1902年[1])
- ピアノ三重奏曲第3番ハ長調 op.87 (1908年[1])
ピアノ曲
合唱曲
- 波の歌 (Wogensang) 女声三部合唱、ピアノ伴奏、ノルウェー語またはドイツ語
歌劇
- 聖なる山 op.111 (1912年[1])
