クリス・ジョン
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 本名 | ヨハネス・クリスチャン・ジョン |
| 通称 |
The Dragon The Indonesian Thin Man |
| 階級 | フェザー級 |
| 身長 | 169cm |
| リーチ | 175cm |
| 国籍 |
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| 誕生日 | 1979年9月14日(46歳) |
| 出身地 |
インドネシア、中部ジャワ州 バンジャルネガラ |
| スタイル | オーソドックス |
| プロボクシング戦績 | |
| 総試合数 | 52 |
| 勝ち | 48 |
| KO勝ち | 22 |
| 敗け | 1 |
| 引き分け | 3 |
クリス・ジョン(Chris John、1979年9月14日 - )は、インドネシアの元プロボクサー。元WBA世界フェザー級スーパー王者。本名はヨハネス・クリスチャン・ジョン(Yohannes Christian John)。バンジャルネガラ出身。右ボクサーファイター。元IBF世界スーパーフライ級王者エリー・ピカル、元IBF世界ミニマム級王者ニコ・トーマスに続くインドネシアでは3人目の世界王者。インドネシア初のWBA世界王者。
“The Dragon(ザ・ドラゴン)”、“The Indonesian Thin Man(細身のインドネシア人)”などの異名を持つ。元散打選手で、インドネシアでは少数派のクリスチャンに属する。トレーナーはインドネシアの敏腕トレーナーであるスタン・ランビンがデビューから2004年まで務め、2005年から引退までオーストラリアのクレイグ・クリスチャンがマネージャーを兼任する形でトレーナーを務めた。
1998年6月4日、プロデビュー。
1999年7月13日、インドネシアフェザー級王座獲得。その後1度の防衛に成功。
2000年5月5日、IBA(インドネシアボクシング協会)フェザー級王座獲得。
2001年11月9日、PABAフェザー級王座獲得。その後5度の防衛に成功。
2003年9月26日、オスカー・レオン(コロンビア)とWBA世界フェザー級暫定王座決定戦で対戦し、2-1の判定勝ちで暫定王座を獲得。同年11月1日に、正規王者デリック・ゲイナーがファン・マヌエル・マルケスとのWBA・IBF世界フェザー級王座統一戦に敗れ、マルケスがスーパー王座に認定されたため、ジョンが正規王者に認定された。この経緯で初戴冠となった[1]。
2004年6月4日、有明コロシアムで佐藤修(協栄)と対戦し、3-0の判定勝ちで初防衛に成功した[2]。
2004年12月3日、ホセ・ロハス(ベネズエラ)と対戦し、4回負傷判定引き分けで2度目の防衛に成功した。
2005年4月22日、元王者デリック・ゲイナー(アメリカ)と対戦し、3-0の判定勝ちで3度目の防衛に成功した。
2005年8月7日、オーストラリア・ペンリスでトミー・ブラウン(オーストラリア)と対戦し、10回TKO勝ちで4度目の防衛に成功した。
2006年3月4日、ジョンの地元インドネシアでファン・マヌエル・マルケス(メキシコ)と対戦し、ローブローで2度の減点を追い風に3-0(117-111、116-112、116-110)の判定勝ちで5度目の防衛に成功した。
2006年9月9日、レナン・アコスタ(パナマ)と対戦し、3-0の判定勝ちで6度目の防衛に成功した[3]。
2007年3月3日、同級1位ホセ・ロハスと再戦し、3-0の判定勝ちで7度目の防衛に成功した[4]。
2007年8月19日、神戸ファッションマートで同級6位武本在樹(千里馬神戸)と対戦し、9回終了TKO勝ち。8度目の防衛に成功した[5]。
2008年1月26日、ロイネット・カバジェロ(パナマ)と対戦し、7回終了TKO勝ちで9度目の防衛に成功した。
2008年10月24日、後楽園ホールで同級4位榎洋之(角海老宝石)と指名試合を行い、3-0の大差判定勝ちで10度目の防衛に成功した[6]。
2009年2月28日、アメリカ・テキサス州ヒューストンのトヨタセンターでロッキー・ファレス(アメリカ)と対戦し、試合を優勢に進めながらも、判定ドローで11度目の防衛に成功[7]。6月27日に再戦予定であったが、自身の病気により試合が中止された[8]。
2009年9月19日、アメリカ・ネバダ州ラスベガスのMGMグランド・ガーデンアリーナで同級1位ロッキー・ファレスと再戦。3-0の判定勝ちで12度目の防衛を果たした[9]。
2010年12月5日、約1年3か月ぶりの試合として、地元インドネシアにおいて同級15位フェルナンド・デビッド・サウセド(アルゼンチン)を迎えて13度目の防衛戦を行い、12回判定勝ちを収めて13度目の防衛に成功した[10]。
2011年4月17日、地元インドネシアで同級5位ダウド・ヨルダン(インドネシア)を相手に防衛戦を戦い、3-0の判定勝利を収めて14度目の王座防衛に成功した[11]。
2011年11月30日、オーストラリア・パースで同級11位スタニスラフ・メルドフ(ウクライナ)と対戦し、3-0の判定勝ちで15度目の防衛に成功した。
2012年5月5日、シンガポールのマリーナベイ・サンズで同級14位木村章司(花形)と対戦。挑戦者に何もさせず3-0の判定勝ちで16度目の防衛を果たした[12]。
2012年11月9日、マリーナベイ・サンズで同級7位チョンラターン・ピリヤピンヨー(タイ)と対戦し、3-0の大差判定勝ちで17度目の防衛に成功した[13]。
2013年4月14日、インドネシア・ジャカルタで同級6位細野悟(大橋)と対戦し、3回負傷引き分けで18度目の防衛に成功した[14]。
2013年12月6日、オーストラリア・パースのメトロシティにて、IBO世界フェザー級王者シンピウィ・ベトイェカと対戦し、ジョンの6回終了時棄権によりプロ初黒星を喫すると共にWBA王座の19度目の防衛に失敗しWBA王座から陥落、IBO王座の獲得にも失敗した[15][16]。