クルクシェートラ (ラオス)

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クルクシェートラ( IAST:Kurukṣetra)もしくはリンガプラIAST:Liṅgapura)は、ラオス南部チャンパーサック県チャムパサック郡に位置する古代都市遺跡(ラーオ語:ຕົວເມືອງບູຮານ)。しばしばシュレスタプラIAST:Śreṣṭhapura)と同一視される。ワット・プー遺跡群における初期クメール国家(真臘)の首都であったと考えられている。ワット・プー寺院群から東へ約6.5キロメートルのメコン川西岸(右岸)の沖積平野に位置している[1]

都市の規模は約2km×1.8kmで、土壁による二重の囲壁を持っていた[2]。囲壁の内側には、30以上のモニュメントの痕跡が見られ、しばしば貯水池を伴っている[3]

クルクシェートラ は2000年にユネスコ世界遺産チャンパサック県の文化的景観にあるワット・プーと関連古代遺産群」(ラーオ語:ວັດພູພ້ອມພື້ນທີ່ບູຮານແຫ່ງພູມິທັດວັດທະນະທຳຈຳປາສັກ)として登録された遺跡群の一つである[1]

この古代都市は、遠方より来たるマハーラージャ・アディラージャ(王中の大王)デーヴァニーカによって、紀元5世紀半ば頃に「クルクシェートラ」と名付けたマハティルタ(大聖地)を作ったとされる[2]。クルクシェートラの名前は紀元前3102年にマハーバーラタの戦争が行われた聖なる戦場クルクシェートラ(現在のインドハリヤーナー州)にちなむ[2]

この都市はしばしばシュレスタプラIAST:Śreṣṭhapura)と同一視される。その同定には議論の余地があり、最近の研究では「リンガプラ」や「クルクシェートラ」という名称がより適切ではないかとされる[4]

この都市は、6世紀から7世紀にかけて主要な政治的中心地であったことは間違いない[5]

初期王朝との関係

紀元6世紀末頃には、この地域がマヘーンドラヴァルマン王の首都であったことが、古代都市内で発見された碑文(碑文番号:K. 1173, K. 1174)から判明している[3]。これらの碑文は、ワット・プー地域が、アンコール王朝の王たちが自らの起源を辿ろうとしたクメール帝国の形成に貢献した王朝の発祥の地であったことを裏付けている[3]

真臘王朝がクメール全土に支配を広げるにつれて、政治的中心地は南下し、最終的に10世紀初頭にアンコールに首都が定められたことで、この都市は政治的首都としての役割を失った[2]

都市の構造と特徴

考古学的側面

参考文献

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