フランス東部ブルゴーニュ地方出身で、エッティンゲン=ヴァラーシュタイン侯家(ドイツ語版)の居城バルデルン城(ドイツ語版)の庭師をしていたニコラ・ブールガン(Nicolas Bourgin)の娘に生まれる[1]。1823年7月7日ボプフィンゲン郊外ケルキンゲン(ドイツ語版)にて、主家である侯家の当主ルートヴィヒ侯と結婚、間に2人の娘をもうけた[2]。
シュタンデスヘル身分と平民との結婚は貴賤結婚とされ、ルートヴィヒ侯は家督を弟に譲ることを余儀なくされた。しかし親友であったバイエルン王ルートヴィヒ1世が1825年に即位すると、ルートヴィヒ侯はミュンヘン宮廷において重用され、一時外されていた宮内長官職に復帰し、内務大臣やパリ駐在大使などの職にも就いた[1]。クレセンティアが1853年に死んだ後、ルートヴィヒ侯は伯爵令嬢アルベルティーネ・ラリッシュ(1819年 - 1900年)と再婚して1870年まで生きた[3]。
1833年、ルートヴィヒ王の蒐集する美人画ギャラリーのモデルの1人に選ばれ、肖像画が制作された[4]。長女カロリーネも1843年に美人画ギャラリーのモデルに選ばれ、母子でモデルを務めた唯一の例となった。
ギャラリーを現在飾っているのは1833年版の最初の肖像画ではなく、1836年に宮廷画家ヨーゼフ・カール・シュティーラーが描き直した2枚目のヴァージョンである。現存の肖像画は、1833年版をベースにはしているが、肖像画自体には様々な特色が付け加えられた。画中の侯夫人クレセンティアは、襟布(タッカー)の付いた襟ぐりの深いマルーンのガウンに身を包み、髪にリングレット、レース編みのスカーフ、真珠のヘッドバンドを付けている。背景の柱状物をモチーフとしてより目立たせるため、1833年版よりもモデルの上半身がさらに下部まで描きこまれ、左前腕及びワスレナグサの花を握った左手が付け加わった[5][1]。