クロード=ガスパール・バシェ・ド・メジリアク
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クロード=ガスパール・バシェ・ド・メジリアク | |
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| Claude-Gaspard Bachet de Méziriac | |
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| 生誕 |
1581年10月9日 サヴォイア公国、ブール=カン=ブレス[1] |
| 死没 |
1638年2月26日(56歳没) サヴォイア公国、ブール=カン=ブレス |
| 墓地 | ブール=カン=ブレス大聖堂 |
| 著名な実績 | バシェ方程式 |
| 代表作 |
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クロード=ガスパール・バシェ・ド・メジリアク[注釈 1](仏: Claude-Gaspard Bachet de Méziriac、1581年10月9日 - 1638年2月26日 )は、フランスの数学者、詩人。バシェによるディオファントスの『算術』のラテン語訳書は、後にピエール・ド・フェルマーがフェルマーの最終定理について注釈を残した書籍である。

1581年、ブール=カン=ブレスに生まれた。6歳になるまでに、父ジャン・バシェ(Jean Bachet)と母マリ・ド・シャヴァンヌ(Marie de Chavanes)の両方を失い、イエズス会に引き取られた。1601年の間イエズス会に所属していたが、病気により退会した[1]。
ブール=カン=ブレスで自適な生活を送った。1620年にフィリベルト・ド・シャブー(Philiberte de Chabeu)と結婚し7人の子を儲けた[1]。
バシェはランスのイエズス会学校で、数学者ジャック・ド・ビリに師事した。バシェとビリは深い友情で結ばれていた[2]。
バシェの著作 Problèmes plaisans et délectables qui se font par les nombres は、1612年に初版、1624年に第二版(増補版)が出版された。 この作品には算術に関する技法や問題についての記述が含まれ、ウォルター・ウィリアム・ラウス・ボールの Mathematical Recreations and Essays に何度も引用されている[1][3]。
他に著名な作品として挙げられる Les éléments arithmétiques は写本として現存している。
1621年、ギリシア語で書かれたディオファントスの『算術』のラテン語訳を発表した。フェルマーはこの書籍の写本の余白に、自身がフェルマーの最終定理の証明を知っていることを書き記した。παρισὀτης の訳語 adaequalitat は、フェルマーによって開発された Adequality の語源となった[4]。
数論におけるバシェの功績に、魔方陣の構成法の発見がある[3]。Problèmes plaisants(1624)の命題XVIIIでは、ベズーの142年前に、ベズーの等式を証明している[5][6]。
1635年、アカデミー・フランセーズ会員に選出された(座席番号13)[1]。
バシェはフランス語、ラテン語、ギリシア語の他、イタリア語やスペイン語の教養を持っていた。イタリア滞在中にはクロード・ファヴル・ド・ヴォージュラとともにイタリア語で詩を楽しむこともあった[7]。