クープ・ドゥ・シャンピオナ1895-1896
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| シーズン | 1895-1896 |
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| 優勝 | FCリエージョワ (1回目) |
| 降格 |
FCブリュージョワ ユニオンFCディクセル |
| 試合数 | 72 |
| ゴール数 | 186 (1試合平均2.58) |
| 得点王 |
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| 最多得点試合 | |
| アントワープFC (33) | |
クープ・ドゥ・シャンピオナ1895-1896はベルギー最上位サッカーリーグの第1回目のシーズンである。「シャンピオナ・デ・ゼキップ・プルミエール (一流チームによる選手権)」とも称された。ベルギーにおける唯一の公式サッカー大会で、初年度は7クラブが参加した。FCリエージョワが初優勝し、初代ベルギーチャンピオンとなった[1]。
1895年9月1日にブリュッセルで創設された総合スポーツ統括組織「ベルギースポーツ競技団体連合」(Union belge des Sociétés de Sports athlétiques, UBSSA)は、同年中にサッカーを取扱い種目に採用した。この段階では他に陸上競技・クリケット・自転車競技の部門も存在しており、サッカー専門の統括組織ではなかったのだが、20世紀に入ってからUBSSAはベルギーサッカー協会に改組される。結果的にはイングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド、オランダ、アルゼンチン、スイス (1895年4月7日)に次いで、全世界で8番目に古いサッカー協会ということになった。UBSSAサッカー部門はすぐさま第1回ベルギー選手権の開催を決めた[2]。
UBSSAは陸上競技とサッカーのクラブが中心となって作られたのが、すでに述べたように他のスポーツも統括しようとしていた。しかし、フランスから伝わった自転車競技はすでに独自連盟 (1882年創設)を持っており、またイギリスのボクシングも非常に人気があった。それら人気種目、さらに陸上競技も、次々に個別の統括組織を作っていったので、UBSSAはサッカーだけを専門とするようになったのである。初期にはベルギーのサッカー全体を掌握出来ておらず、自由主義、社会主義、カトリック、フランドルやワロンの地域主義系など、様々な性質の競合組織が存在していた。
以下がUBSSAの創立時のオリジナルメンバーである。
- アントウェルプFC[注 1] (1)
- FCブリュージョワ (3)
- FCリエージョワ (4)
- レオポルドCB (5)
- ラシン・ブリュッセル (6)
- AAラ・ガントワーズ (7)
- ヴェルヴィエールFC (8)
- A&RCブリュッセル
- SCブリュッセル
- ユニオンFCディクセル
カッコ内の数字は、1926年に制定されたベルギーサッカー協会クラブ登録番号である。数字の無いクラブは登録番号制度ができる前に消滅したため、番号がない。またラ・ガントワーズはUBSSA創設に参加したものの、リーグに参加するためのサッカー部門がまだなかったので、初年度シーズンに出ていない。ラシン・ブリュッセルの理事ルイ・ミューリングオスは、UBSSA創設時の発起人だった[2]。
