グスル
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フィクフ上は、儀礼的規範(イバーダート)に属する行為である。グスルの作法に法学派による違いはほとんどない[1]。洗う部位は頭髪から爪先に至る全身である[1]。宗教的な意味で清浄な水を用いて洗い清める[1]。洗い始める前に「グスルをする」と心に決めて(ニーヤ)から実行に移す[1]。洗い始めたら中断しない[1]。
ただしハナフィー法学派においてだけ、グスル実践の前のニーヤは義務ではないとされている[1]。流水は清浄な水と認められるが、たまっている水は色、味、匂いがおかしくないか確かめたうえでないと不潔とされる[2]。何をもって「清浄」とするか、何をしたら「中断」とするかなどの細部については、過去の神学者や法学者による膨大な議論がある[1][2]。
「全身の」沐浴であることもポイントのひとつで、顔と手足の先までにとどまる垢離については「ウドゥー」(小浄)という別の儀礼がある[1][2]。
義務的グスル
イスラーム教において、不浄(ritual impurity)の概念には2段階あり、1段階目が小不浄(ハダス、ḥadat͟h)、2段階目が大不浄(ジャナーバ、janāba)という[4]。不浄の状態にある者は、1) 礼拝(サラート)すること、2) 周回儀礼(タワーフ)すること、3) 礼拝所(モスク)に入ること、4) クルアーンの刊本(ムスハフ)に触れること、が禁忌であると考えられている[1][5][4]。義務的な信仰実践の中心であり、五行の筆頭に挙げられる礼拝を実践できなくなってしまうため、垢離により身体を清浄な状態(タハーラ)にする必要がある[3]。
小不浄(ハダス)の状態は、汚れているとされるものに触ったり、睡眠から覚めたりした場合になるとされている[4]。小不浄の状態にある身体はウドゥーにより清浄な状態に復帰できる[4]。これに対してグスルによらなければ清浄な状態に復帰できないのが大不浄である[4]。
大不浄(ジャナーバ)の状態は、一般的には性交渉後がその状態であると言われている[5]が、法解釈学においてより詳しくは、男女の生殖器からマニー manī と呼ばれる物質が排出された場合になるとされている[1]。マニーは男性であれば精液、女性であれば悪露や月経血を含む各種の液状物質である[1]。なお通説では、性交渉の態様がノーマルであったかアブノーマルであったかはジャナーバになるか否かとは無関係とされる[1]。膣に挿入したが射精には至らなかった場合はグスルする必要はあるか否かなど、さまざまな特殊なケースに関して過去の神学者や法学者による膨大な議論がある[1]。
さらに重要な点として、水が得られない場合には、砂などでグスルなりウドゥーなりをしてもよいという学説が、スンナ派四大法学派すべてで通説とされている[1]。砂などにより浄化することをタヤンムム(tayammum)という[1]。