グラディス・パーカー

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グラディス・パーカーGladys Parker1908年3月21日1966年4月28日[1])は、アメリカ合衆国漫画家で、ファッションデザイナー。代表作はコミック・ストリップの『Mopsy英語版』(1937年 - 1966年)。1930年代から1950年代にかけて活躍した数少ない女性漫画家の1人である[2]

1908年[1]ニューヨーク州トナワンダ英語版の生まれ。母はキャロライン[1]。7歳の時に足を怪我し、回復するまでの間、自分自身をモデルにして絵を描き始める[3]。トナワンダ・ハイスクール在学中にニューヨークの雑誌社に漫画を売り込む[4]。ハイスクール卒業後は短期間だが材木置場事務所で働き、洋裁も得意だったことから友人や自分向けの洋裁店を自宅に作る[3]。ファッション画を勉強するため、トラファーゲン・スクール・オブ・ファッションに入学し[3]1928年に卒業する[5]

新聞漫画を始めたのは『New York Graphic英語版』紙で、1928年頃、連載中だったコミック・ストリップ『May and Junie』(1926年 - 1928年)を引き継ぎ、最後を締める[6][3]

それからUnited Feature Syndicate英語版で2年、NEA (Newspaper Enterprise Association英語版) で7年間働く[3]。この間、1928年フラッパーもののコミック・ストリップ『Gay and Her Gang』(1928年 - 1929年)を連載[7]1930年3月21日から1935年まで、女性漫画家エセル・ヘイズ英語版の創造したコミック・ストリップ『Flapper Fanny Says』(1925年 - 1940年)を描く[8]

NEAには1936年までいたが、この時期にラックスのためにもコミック・ストリップを描いていた[9]

1937年[10]、自分自身をモデルにした『Mopsy』を創造し、その経緯については「Mopsyを思いついたのは漫画家のルーブ・ゴールドバーグ英語版から私の髪の毛がモップみたいだと言われた時。数年前のことで、それからずっと彼女のことばかり考えてたわ」と語っている[3]

1945年からカラーのサンデー・ストリップ(日曜版漫画)版『Mopsy』も始まり(コミック・ストリップ#ニュースペーパー・コミック・ストリップを参照)、付録の「Mopsy Modes」という着せ替え紙人形も描いた。

第二次世界大戦中は婦人陸軍部隊 (WAC) のために『Betty G.I.』を連載し[11]1942年から1944年までは女性パイロットが活躍する冒険漫画『Flyin' Jenny英語版』(1939年 - 1946年)を描く[9]

戦時中のMopsyは看護婦軍需工場で働き、人気はさらに高まった。戦後は普通の市民生活に戻った[12]

私生活では1930年5月9日パルプ・マガジンの挿絵画家で漫画家のベンジャミン・ストゥーキー・アレン英語版(1903年 - 1971年)と結婚[3]1951年に離婚)[13]

パーカーはソサエティ・オブ・イラストレーターズ英語版全米漫画家協会英語版メンバーでもあった。

1965年、Mopsyとともに漫画家業を引退。

晩年はハリウッドで暮らした。1966年グレンデールにて肺癌で死去。58歳だった[11]

服飾

『Flapper Fanny Says』として漫画家としての名声を得始めた1934年には、Gladys Parker Designsという名前で自作の服を店頭販売していた。

ギャラリー

脚注

関連項目

外部リンク

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