グルホフ公国
From Wikipedia, the free encyclopedia
グルホフ公として最初に言及されるのは、チェルニゴフ公ミハイルの子のセミョーンである。ミハイルがジョチ・ウルスに殺害された後、チェルニゴフ公ミハイルの3人の子が公国領を分割相続したことで、グルホフ公国が形成された[1]。
1369年、グルホフ公国は首都をノヴォシリに移し[2]、グルホフ公位は消滅した。14 - 15世紀にかけて、グルホフ公国から、ノヴォシリ公国(さらにベリョーフ公国(ru)、オドエフ公国、ヴォロトィンスク公国)、ウスチエ公国が分裂したことになる[2]。なおグルホフは1407年にリトアニア大公国に占領されてもいる[2]。
16世紀には、これらの旧グルホフ公国領は全てモスクワ大公国に吸収された。 また、これら諸公国の公の子孫は、モスクワ大公国など後続のロシア国家の中で、ベリョーフスキー家(ru)、オドエフスキー家(ru)、ボロトィンスキー家(ru)ら貴族の家系として存続した。