1333年、ジョチ・ウルス軍と共に、スモレンスクにおいてブリャンスク公ドミトリー(ru)を攻撃するが敗北した。なお、この戦いの後、ブリャンスク公ドミトリーとスモレンスク公イヴァンとの間に和議が成立している。また同年イヴァンの支援によって、グレプはブリャンスク公位を獲得した。その後7年間、グレプはブリャンスク公国を統治した。
ブリャンスクのレートピシ(年代記)によると、キエフと全ルーシの府主教(ru)フェオグノスト(ru)の仲裁にもかかわらず、ブリャンスクのヴェーチェ(民会)によって、グレプは殺害されたと記されている。