グレーシー・ポスト

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グレイシー・ポスト
Gracie Pfost
アメリカ合衆国下院議員
アイダホ州アイダホ州1区選出
任期
1953年1月3日  1963年1月3日
前任者ジョン・ウッド
後任者コンプトン・ホワイト・ジュニア
個人情報
生誕Grace Bowers
(1906-03-12) 1906年3月12日
アメリカ合衆国アーカンソー州ハリソン英語版
死没1965年8月11日(1965-08-11)(59歳没)
アメリカ合衆国メリーランド州ボルチモア
政党 民主党
配偶者Jack Pfost (1923–1961)
教育リンクス商科大学

グレイシー・バワーズ・ポスト:Gracie Bowers Pfost, 1906年3月12日- 1965年8月11日)は、アメリカ合衆国の政治家。アイダホ州選出としては初の女性連邦議員として、下院議員を5期務めた[1][2]

1906年3月12日、グレイシー・バワーズはアーカンソー州ハリソン英語版で生まれた。高校を卒業後、アイダホ州ナンパの生乳業者に就職。1923年に10歳以上歳の離れた上司ジャン・W・ポストと結婚した。1929年にリンクス商科大学を卒業し、キャニオン郡政府で書記官や監査人などを歴任した。1941年には郡出納局長に選出されている[3]

1950年、ポストは民主党から下院議員に出馬して党指名を獲得したが、共和党のジョン・トラヴァース・ウッドに敗れた[4]。1952年も下院議員選挙に挑み、民主党予備選挙でコンプトン・ホワイト・シニア元下院議員を破って指名を獲得[5]。総選挙では、前回と同じく共和党のウッドとの対戦となったが、約780票差の接戦の末雪辱を果たして初当選[6]。アイダホ州において、女性が連邦議会の議員になるのはポストが初のことであった[1]。1956年選挙では、民主党がポスト、共和党が女性ジャーナリストのルイーズ・シャーダック英語版をそれぞれ指名し、女性候補同士の対決となった。共和党と民主党の二大政党の候補にいずれも女性が指名されるのは、米国選挙史上初のことだった[7]。なお、選挙ではポストが1,1000票以上の差をつけ、当選している[8]

1962年7月、共和党現職のヘンリー・C・ドワシャーク上院議員(アイダホ州第2部)が死去した。州法の規定に従い、ロバート・スマイリー英語版州知事(共和党)によってレナード・ジョーダン英語版前州知事(共和党)が選挙までのつなぎとして指名されるとともに、ドワシャークの後任を決める特別選挙が10月に行われることになった。ポストは同年の下院議員選挙を回避し、特別選挙に出馬し上院議員の議席を目指すことを表明した[9]。選挙では、民主党からの指名を獲得したが[10]、共和党現任のレナード・ジョーダンに敗れた[11]

1963年に議会を離れた後も、ポストは、ホワイトハウス直属の独立行政機関・連邦住宅局英語版で特別補佐官として務め、高齢者向けの住宅政策に携わった。同年10月に肺炎にかかり[12]メリーランド州ボルチモアのジョン・ホプキンス病院に入院した[13]。その後ホジキンリンパ腫(当時の病名としてはホジキン病)と診断され[14]、1965年8月11日に同病院で59歳の若さで亡くなった[1][15]

政策

選挙歴

連邦下院議員選挙 (アイダホ州第1選挙区):1950-60[4][6][19][8][20][21]
民主党 票数 得票率 共和党 票数 得票率
1950年 グレイシー・ポスト 41,040 49.5% ジョン・ウッド 41,823 50.5%
1952年 グレイシー・ポスト 54,725 50.3% ジョン・ウッド 54,134 49.7%
1954年 50,214 54.9% Erwin Schwiebert 41,293 45.1%
1956年 60,170 55.1% ルイーズ・シャーダック英語版 48,974 44.9%
1958年 60,083 62.4% A.B. Curtis 36,178 37.6%
1960年 68,863 60.4% Thomas A. Leupp 45,166 39.6%
アイダホ州選出のアメリカ合衆国上院議員(クラスⅡ): 1962年特別[22]
民主党 票数 得票率 共和党 票数 得票率
1962年 グレイシー・ポスト 126,398 49.1% レナード・ジョーダン英語版 131,279 51.0%

関連項目

参考文献

外部リンク

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