グロリア・アロヨ
第14代フィリピン大統領・現職の代議院議員
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グロリア・マカパガル・アロヨ[1](Gloria Macapagal Arroyo[2]、1947年4月5日 - )は、フィリピンの政治家。同国第14代大統領(在任:2001年1月20日 – 2010年6月30日)。通称は名前の頭を取ってGMAと呼ばれる。
| グロリア・アロヨ Gloria Arroyo | |
公式肖像写真、2004年 | |
| 任期 | 2001年1月20日 – 2010年6月30日 |
|---|---|
| 副大統領 | テオフィスト・ギンゴナ(2001年 – 2004年) ノリ・デ・カストロ(2004年 – 2010年) |
| 任期 | 2018年7月23日 – 2019年6月30日 |
| 大統領 | ロドリゴ・ドゥテルテ |
| 任期 | 2010年6月30日 – 2019年6月30日 2022年6月30日 – 現職 |
| 大統領 | ベニグノ・アキノ3世 ロドリゴ・ドゥテルテ ボンボン・マルコス |
| 任期 | 1998年6月30日 – 2001年1月20日 |
| 大統領 | ジョセフ・エストラーダ |
| 任期 | 1992年6月30日 – 1998年6月30日 |
| 大統領 | フィデル・ラモス |
| 出生 | 1947年4月5日(79歳) |
| 政党 | ラカス党 |
| 受賞 | 経済学博士(フィリピン大学) |
| 出身校 | ジョージタウン大学 アサンプション大学サンロレンツォ校 アテネオデマニラ大学 フィリピン大学経済学部(博士課程修了) |
| 配偶者 | ホセ・ミゲル・アロヨ |
| 子女 | 3人 |
| 署名 | |
人物
1947年4月5日、マニラで生まれた[3]。父はディオスダド・マカパガル元大統領[3]。
地元の高校を卒業した後、2年間アメリカのジョージタウン大学に留学し、ビル・クリントン元大統領と同期生だった。その後帰国してフィリピン大学から経済学博士の学位を取得し、大学教員からアキノ大統領に抜擢されて貿易工業省局長に就任した。さらに同省次官を経て、1992年5月に史上最高得票で上院議員に当選した。
大統領

1998年5月にホセ・デヴェネシア大統領候補の副大統領として立候補したが、フィリピンの大統領選挙は正副大統領の選挙が別に行われるため、デヴェネシア候補は落選し、アロヨは副大統領として当選した。同年6月に副大統領に就任し、2001年1月20日にエストラーダ大統領に対する弾劾(第2のエドゥサ革命)が成立すると大統領に昇格した[4]。
これに対してエストラーダ派からアロヨ大統領の正当性を疑問視する声が高まり、最高裁判所の判決が下りているにもかかわらずデモ・暴動や反乱が発生した。同年11月にイスラム教徒ミンダナオ自治地域(ARMM)での選挙で、モロ民族解放戦線(MNLF)のヌル・ミスアリ議長と対立関係にあったパロウク・フシン副議長を支援した。
アロヨは当初1期で退任する意向であったが、思い直して2004年フィリピン大統領選挙に再度立候補し、次点候補に100万票以上の差を付けて当選した(フィリピン憲法第7条第4項で大統領は1期のみとされているが、なんらかの理由で4年以上在任してない場合は立候補できるという暗黙の了解のもとに出馬)。しかし、公金を選挙資金に流用した疑惑が浮上して対立候補と揉めたが、2004年6月24日に議会によって当選を認められ、同月30日にセブ島で大統領就任式が執行された。ただし、のちに選挙管理委員のVirgilio Garcillanoへ票操作を依頼した元諜報機関職員により盗聴された電話記録からハロー・ガルシ・スキャンダル(ハロー・ガルシ事件)が発覚した[5]。
2003年3月に始まったイラク戦争に際しては、インドネシア・マレーシア・ベトナム・中国といった周辺の国々が反対した中で、日本、韓国など共にイラクへの武力行使を支持し、フィリピン軍をイラクに派遣した。
2006年2月24日に軍の一部でクーデターが計画されていたとして、フィリピン全土に非常事態宣言を発令し、首都マニラに戒厳令を布いた。クーデターを首謀していた将校だけでなく、自身と対立していた軍司令官も解任し、野党活動家や野党系メディアの関係者を逮捕・拘束した。これについて、アロヨの”後見人”と見られていたコラソン・アキノ元大統領やラモス元大統領がアロヨを批判し、退陣を求めるなど両者との関係が悪化した。
2009年12月4日にミンダナオ島のマギンダナオ州に戒厳令を布告し、大量殺人に関与した州知事一族の身柄を拘束させた[6]。
下院議員
2010年5月10日に長男のマイキー・アロヨ下院議員からパンパンカ州第2区を選挙区として譲り受け、下院議員選挙に立候補して当選した。2011年11月18日に2007年の上院議員選挙に絡んだ選挙法違反容疑で逮捕された。大統領経験者が逮捕されるのはジョセフ・エストラーダ元大統領以来である。
2012年10月4日に公金の不正流用の疑いで警察に再逮捕された[7]。同月12日にマニラ退役軍人病院は、入院しているアロヨが集中治療態勢に置いたことを発表した。これによって15日の裁判所の出廷は難しい状況になった[8]。
2018年7月23日に第21代下院議長に就任し、2019年6月30日まで務めた。女性として初めての議長となる[9]。
家族

1968年8月にホセ・ミゲル・アロヨ(en:Jose Miguel Arroyo)と結婚し、3人の子女が誕生した。