グンノール
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生涯
グンノールの両親の名前は不明であるが、ロベール・ド・トリニーは、グンノールの父親はペイ・ド・コー出身の森林官であり、一方デュドン・ド・サン=カンタンはグンノールはデンマーク貴族の血筋であると記している[6]。グンノールはおそらく950年ごろに生まれた[2]。その一族はノルマンディー西部で勢力を誇っており、グンノール自身も非常に裕福であったと言われている[7]。リシャール1世との結婚は、夫[注釈 2]と子孫の両方にとって非常に政治的に重要な意味を持つこととなった[10]。グンノールの兄弟であるエルファスト・ド・クレポンは、ノルマンディーの名家の祖となった[7]。また、姉妹と姪[注釈 3]は、ノルマンディーで最も重要な貴族と結婚した[11]。
ロベール・ド・トリニーは、リシャール1世がグンノールと出会った経緯を記している[12]。グンノールは地元の森林官の妻である姉のセインフレダと一緒に暮らしていたが、近くで狩りをしていたリシャール1世は、その森林官の妻の美しさを耳にした。リシャール1世はセインフレダに寝室に来るように命じたと伝えられているが、セインフレダは未婚の妹グンノールを代わりに寝室に向かわせた。リチャード1世はこの策略によって姦通を免れたことを喜んだと伝えられ、二人の間には3男3女が生まれた[注釈 4][14]。他の領主とは異なり、ノルマンディー人は同棲、あるいは「モア・ダニコ(デーン人の慣習による婚姻)」による結婚を認めていた。しかし、リシャール1世が息子ロバートをルーアン大司教に指名することを阻止されたため、二人は「キリスト教の慣習に従って」結婚し、教会において二人の子は嫡出子とされた[14]。
グンノールは1020年代まで公爵の特許状を承認し、語学に堪能で、優れた記憶力を持っていたと言われている[15]。グンノールはデュドン・ド・サン=カンタンにとってノルマン史に関する最も重要な情報源の一人であった[16]。リシャール1世の未亡人として、グンノールは息子たちと共に幾度となく出かけたことが記録されている[15]。夫が彼女を頼りにしていたことは、夫妻の特許状にも表れており、グンノールはノルマンディーの摂政、調停者、裁判官、そして中世貴族の母親に典型的な役割、すなわち夫と長男リチャード2世の間の仲裁者としての役割を担っていることが記されている[15]。
グンノールはクタンス大聖堂の創設者であり支援者でもあり、その礎石を据えた[2]。リシャール1世の死後、グンノールは自身の特許状の一つで、夫から寡婦財産として受け取ったブリタヴィラとドンジャンの二つの私領をモン・サン=ミシェル修道院に寄贈した。これは夫の霊魂とグンノール自身の霊魂、そして息子たち「リシャール伯爵、ロバート大司教、その他」の幸福のために寄贈したものであった[17]。グンノールはまた、1024年から1026年頃に息子のリシャール2世が同じ修道院に特許状を出したことを公証しており、そこには「Gonnor matris comitis(伯爵の母)」と記されている[18]。グンノールは妻としても公爵夫人としても[注釈 5]、親族を優遇する影響力を行使することができ、イギリス海峡両岸の最も著名なアングロ=ノルマン人の家系のいくつかは、グンノールやその姉妹、姪の子孫である[15]。グンノールは1031年ごろに亡くなった[2]。
子女
注釈
- 姉妹センフリー、アヴェリン、ウェヴィーおよびその娘たちについては、G.H. White, 'The Sisters and Nieces of Gunnor, Duchess of Normandy, The Genealogist, New Series, vol. 37 (1920-21), pp. 57–65 & 128–132を参照。また、以下も参照:Elisabeth van Houts, 'Robert of Torigni as Genealogist', Studies in Medieval History Presented to R. Allen Brown, ed. Christopher Harper-Bill, Christopher J. Holdsworth, Janet L. Nelson (The Boydell Press, Woodbridge, 1989), pp. 215–233; K.S.B. Keats-Rohan, 'Aspects of Torigny's Genealogy Revisited', Nottingham Medieval Studies, Vol. 37 (1993), pp. 21–28.
